【随筆】−「古代エジプトの暦」               浪   宏 友


 エジプトで農業が営まれるようになったのは紀元前5000年頃、王国が始まったのは紀元前3100年ごろと考えられています。
 エジプトには世界最長と言われるナイル川が流れています。紀元前5世紀のギリシャの歴史家ヘロドトスは「エジプトはナイルの賜物」という言葉を残しています。
 ナイル川は、毎年決まった時期に増水しはじめました。ゆっくりと水かさが増し、数か月かけて最高水位になりました。それから水位を下げ始め、数か月かけて最低水位になりました。増水した時のナイル川の川幅が増水前の8倍にもなることがあったそうです。
 水が引いた後には、一面に肥沃な黒土が広がっています。人々はこの土を耕すことで豊かな収穫を手にすることができました。
 古代エジプトの1年は、洪水の季節、種まきの季節、収穫の季節とされ、それぞれほぼ4か月でした。エジプトが周囲の国々に比べて豊かだったのは、まさしくナイル川のおかげであったと言うことが出来ます。
 ナイル川は遥か遠くに源流を持ちます。現在の地名で言えば、ケニア、ウガンダ、タンザニアに囲まれたアフリカ最大の湖であるヴィクトリア湖から白ナイル川が流れ出しています。白ナイル川は沼沢地や湖を経てスーダンの首都ハルツームで青ナイル川と合流します。さらにスーダンの都市アトバラでアトバラ川と合流しエジプトに流れ込みます。
 青ナイル川の水源はエチオピア高原のタナ湖です。アトバラ川もエチオピア高原に源流を持ちます。
 雨期に入りますと白ナイル川も青ナイル川も増水します。特に青ナイル川の増水が大きく、ナイル川の増水の主原因となりました。
 増水した青ナイル川とアトバラ川は、エチオピア高原から多量の土砂をエジプトに運んできました。この栄養豊かな土砂が、エジプトに豊かな実りをもたらしたのです。
 古代エジプトの人々は、ナイル川の上流でこんな現象が起きていることなど知る由もありません。ただただ、神さまの思し召しと考えたにちがいありません。
 古代エジプトでは、ナイル川がいつ増水するのか、いつから農作業が始められるのか、いつまでに収穫を終えればいいのか、見定める必要がありました。このため、太陽、月、星の詳しい観測を行なったようです。そしてある事実を突き止めました。
 東の空に太陽が昇るとき、その直前に昇る天体があります。太陽が顔を出せばその天体は見えなくなります。この現象をヘリアカル・ライジングというそうです。
 古代エジプトの人々は、シリウスのヘリアカル・ライジングがあると、まもなくナイル川が増水し始めることを知りました。これは重大な発見でした。
 ヘリアカル・ライジングから次のヘリアカル・ライジングまでが365日であることも分かりました。この事実を基礎にして、ナイル川の増水時期を予測することができるようになりました。
 古代エジプトの人々は、シリウスのヘリアカル・ライジングを基礎にして暦を作りました。星座の動きを見ながら1年を10日ずつ36に区切りました。これに特別な祭りの日として5日を加え、365日としました。こうした事情から古代エジプトの暦はシリウス暦と呼ばれることもあります。
 ところが、シリウスのヘリアカル・ライジングは4年たつと1日ずれることが分かりました。しかし宗教上の理由から、閏年を作ることができません。このため暦と天体運動の間にずれが生じます。ずれは年々大きくなります。それでは困るので、神官用の暦だけは閏年を作っていたのだそうです。
 この変則的な二重の暦は、紀元前246年に即位したプトレマイオス三世によって神官用の暦に統一されるまで、用いられていたそうです。 (浪)

 出典:清飲検協会報(平成27年7月号に掲載)