【随筆】−「日付変更線」               浪   宏 友


 岡田芳朗さんの著作『暦ものがたり』(角川ソフィア文庫)に、こんな話が載っていました。
 「我が国に最初に太陽暦を伝えたのはインドからマカオやフィリピンを経て来た東廻りのヨーロッパ人であったが、やがてメキシコ経由で交流が開始されると、東廻りの人と西廻りの人の間で不思議なことに日付が一日喰い違うことが発生した」
 この原因について、岡田さんは次のように述べています。
 「これは当時日付変更線という考え方がなかったことに起因しているわけで、東西両方向から西欧人が来着した場所では避けられなかった現象である」
 ポルトガル人であるマゼランがスペインの艦隊を率いて史上初の世界一周を成し遂げたのは1522年でした。マゼランはフィリピンで殺害されてしまいますが、部下たちが世界一周を果たしました。
 こうして乗組員たちがスペインに降り立ったとき、彼らが記録していた日付がスペインの日付より1日遅れていたのです。乗組員たちは、自分たちの日付が正しいと主張し大騒ぎになったそうです。
 このときマゼランたちは、西まわりに航海しました。このため、地球を一周した時点で航海日誌は一日遅れになるのです。やはり、日付変更線という考えかたがなかったために起きた事件でした。
 その後、世界周航が頻繁に行われるようになり、日付は、ずれるのだということが認識され、どこかで日付のずれを補正しなければならないということになりました。
 1883年、万国子午線会議が開催され、英国グリニッジ天文台の子午儀の中心を通る子午線を基準に、東経でも西経でも180度の子午線を日付変更線に決めました。
 この日付変更線を西から東に通過するときは日付を1日戻し、逆に東から西へ通過するときは日付を1日先に進めるのです。
 地図上で確認しますと、日付変更線は太平洋上にあります。ところが、東経でも西経でも180度の子午線が日付変更線になっている部分と、そうでない部分があります。
 180度の子午線が領土を通っている国があります。同じ領土内で日付が異なっては困ります。これらの国は、どちらの日付を使うかを決めて、国際的に公表します。これによって、日付変更線が曲がることになります。このことからも日付変更線は、便宜上の約束ごとであることが分かります。
 日付変更線が国際的に定められる少し前の1872年に、フランスのジュール・ヴェルヌが「八十日間世界一周」と題する小説を発表しました。
 イギリスの貴族フィリアス・フォッグが、ロンドンの紳士クラブで、世界を80日間で一周すると言い放ち、全財産を賭けて旅に出ます。ロンドンを出発し、スエズを通り、インド、香港、横浜を経てサンフランシスコに渡り、ニューヨークにでて最後は買い取った船でロンドンに向かいます。
 この間、時間との闘いの中でさまざまな冒険が繰り広げられます。
 ようやくイギリスに到着し、あとはロンドンに向かうだけというときに、銀行強盗の一味として誤認逮捕されてしまいます。疑いはすぐに晴れましたが、1日を無駄にしたために、約束の翌日にロンドンに到着しました。賭けに負けたのです。
 すべてを失ってしまった彼のもとに、使いに出ていた召使から、今日が約束の日だと知らせが入ります。そうか、東回りで世界一周をしたために、日付が1日早かったのだ。彼は紳士クラブに駆け込み、賭けに勝つことができたのでした。
 私は、この物語を映画で見ましたが、実に巧みなトリックを使ったものだなあと、感心したものでした。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成27年11月号に掲載)