【随筆】−「お日柄」               浪   宏 友


 結婚式で「本日はお日柄も良く……」という挨拶を聞くことがあります。日柄とは何でしょうか。
 神社仏閣におみくじがあり、神さまのお言葉が書かれています。おみくじの一番上には「吉」とか「凶」とか書かれていて、幸運・不運の巡り合わせを示しています。おみくじを開いて「吉だ!」と喜んだり、「凶か」とがっかりしたりして、細長く折り畳み、木の枝などに結び付けて帰ります。
 「思い立ったが吉日」と言います。吉日はものごとを始めるのによいとされています。決心したのだから、すぐに始めようと言っているのだと思います。
 日柄とはその日の吉凶ということで、日柄が良いとは、その日は吉であるということです。どこで吉凶を見るのかといえば、結婚式の場合はたいてい六曜を見ています。六曜は大安・赤口・先勝・友引・先負・仏滅です。
 六曜は暦註の一種です。暦註というのは、暦に記入される、その日に関するさまざまな情報です。出入りの業者からお歳暮代わりに届くカレンダーには、さまざまな暦註がぎっしり印刷されていたりします。
 暦註には二十四節気や雑節があります。いろいろな記念日が書かれています。国際〇〇デーとか、交通安全週間とか、最近は、社会的な意味合いを持つ暦註が多いようです。
 私は自分でカレンダーを作って、仕事の予定、私的な計画、家族の誕生日などを暦に書き込んでいます。これは私だけの暦註と言ってよいでしょう。
 太陰太陽暦は、飛鳥時代から始まり明治時代初期まで使い続けられました。ここには、数々の暦註が記載されていましたが、その多くがその日の吉凶を示すものでした。
 古い時代の暦註は、陰陽五行説を根拠とした内容だったようです。
 昔の中国に、「自然界の万物は陰と陽の二気から生ずる」とする陰陽思想と、「万物は木・火・土・金・水の五行からなる」とする五行思想がありました。この二つが結びついて、陰陽五行説が生まれました。陰陽五行説では、陰陽と五行の組み合わせや変化によって吉となりまた凶となるとされました。
 この思想が日本に伝わり、仏教などの思想の影響も受けて、日本独特の発展を遂げたということです。
 こうした説を根拠として、日々の吉凶が判断され、暦に書き入れられたわけです。
 六曜は陰陽五行説を根拠にしていません。というよりも、根拠そのものが示されていません。いつの頃からか、限られた人々の間だけで細々と使われていましたが、長い間、暦註になることはありませんでした。
 明治時代、太陰太陽暦が廃止されて太陽暦に切り替えられたとき、その日の吉凶を示す占いのような暦註は迷信的であるとして、暦に掲載してはならないこととなりました。当時、暦は専売制でしたから、正式の暦にはこの手の暦註は一切書き込まれませんでした。
 しかし、吉凶の暦註を使い続けてきた人々には、暦註なしの暦は空虚なものでした。こうした人びとの要望に応えて、密かに暦註のある暦を作って売り出す人がでてきました。暦の密売です。このとき、禁止された暦註をそのまま復活させるのを避けて、あやふやな立場にあった六曜が採用されました。苦肉の策だったのですね。
 昭和20年(1945)に太平洋戦争が終わり、昭和21年(1946)に、暦の専売制が廃止されました。明治時代に禁止された暦註も、自由に記載して良くなりました。
 このとき、明治時代に禁止された陰陽五行説に基づく暦註が復活することはなく、六曜が主役になりました。今では、六曜の書いてない暦の方が珍しいくらいです。
 「本日はお日柄も良く……」という挨拶の奥には、こうした歴史が密かに隠れていたのですね。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成28年2月号に掲載)