【随筆】−「暦要項」               浪   宏 友



 太陽が南中してから次に南中するまでを1日とします。
 1日を24時間としたのは、古代エジプトの人々です。
 古代エジプトの人々は1年を36に分け、これに対応して夜空を36に分けて36柱の神々を配していました。人々が夜空を観察しましたら、日暮れから夜明けまでに12柱の神々が通り過ぎました。そこで夜を12に分け、昼間も12に分けました。こうして1日を24時間にしたと伝えられています。
 地球が1回自転する時間は23時間56分4秒ですが、地球が太陽の周りを公転しているために1日は24時間になります。
 地球が太陽の周りを1回公転する時間は、365日5時間48分46秒です。元日から大晦日までかかっても、まだ太陽の周りを回りきっていません。5時間48分46秒だけ余っています。これが4年間たまりますと、23時間15分4秒になります。そこで4年目に366日の閏年を作ります。そうすると少し足りなくなるので、これをまた調整するのです。
 長い目で見ると、暦は本当に難しいものです。現在世界標準で使われている暦は、グレゴリオ暦です。これが確立するまでには、長い歴史の中で、多くの人々の叡智が傾けられ、幾多の変遷がありました。
 暦の複雑で細かな計算を引き受けているのは、日本では国立天文台です。精密な天体観測を行なう一方で、他の国の機関と密接に相談しながら、年々の暦の基礎となる情報を国民に提供しています。
 毎年2月の官報を通して、国立天文台から次の年の「暦要項」が発表されます。ここには「国民の祝日、日曜表、二十四節気および雑節、朔弦望、東京の日出入、日食・月食など」の、6種類の情報が掲載されています。
 国民の祝日は「国民の祝日に関する法律」によって決められていますが、この中に日にちの確定していない祝日が二つあります。春分の日と秋分の日です。この二つは国立天文台が観測にもとづいて発表することになっています。
 朔弦望とは月の満ち欠けのことで、朔つまり新月、望つまり満月、弦つまり下弦・上弦の日が示されています。
 東京の日の出の時刻、日の入りの時刻が示されていますが、これは首都だからだと思います。主だった地域の日の出、南中、日の入りの時刻は、国立天文台のホームページに発表されています。
 暦要項に、二十四節気が掲載されています。二十四節気は、太陰暦を使っていた古代中国で、農業のために考案された季節の指標です。それがそのまま日本に伝わって、江戸時代から暦に載せられるようになりました。中国の気候と日本の気候には違いがあるために、二十四節気の名称と日本の気候の合わないところもありますが、そのまま使われています。
 二十四節気が国立天文台から公式に発表されるのは、二十四節気を太陽黄経で決めているからです。地球上から見た天空における太陽の通り道を黄道と言います。黄道は円ですから1周は360度です。これを24等分すると15度になります。春分における太陽の位置を黄経0度として、15度進むごとに節気を一つずつ配します。夏至は黄経90度、秋分は180度、冬至は270度です。
 雑節には、太陽黄経で決めるものと、立春からの日数で決めるもの、春分、秋分からの日数で決めるものがあります。
 例えば夏の土用は太陽黄経117度の日から立秋までで、この間にある十二支の丑の日にウナギのかば焼きを食べるわけです。春・秋・冬の土用は、ほとんど相手にされていませんでしたが、最近、冬の土用にウナギを食べることが行われ始めているようです。
 なお、十二支は国立天文台は関与していません。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成28年3月号に掲載)