【随筆】−「ラーオダメイアの物語」          浪   宏 友



 花婿はピュラケーの王子プローテシラーオス、花嫁は名門の血を引くラーオダメイア。
 神々の祝福を受けながら結ばれた二人を讃えて、婚姻の宴がたけなわのところに、一人の従者が駆け込んできました。花婿に、出陣の要請が届いたのです。アガメムノーンが率いるギリシャ軍が、トロイアに向けて出陣するというのです。
 知らせはたちまち宴に集まった人々の間に広まり、婚姻の宴は花婿の出陣の宴に変わってしまいました。
 翌朝早く、花婿は武具を身に着け、槍を携えて出陣しました。取り残された花嫁は、茫 然と夫を見送るほかなかったのです。
 婚礼の席から実家へ帰った花嫁ラーオダメイアは、自室に閉じこもって、夫の無事を神々に祈り続けました。
 幾日が過ぎたでしょうか。ラーオダメイアが呼ばれて広間に入ると、父の王と母の王妃の前に使者がひざまずいていました。
 使者はラーオダメイアに告げました。夫プローテシラーオスの戦死の報でした。ラーオダメイアはその場に崩れ落ちてしまいました。
 使者が語った経緯は次のようなものでした。
 ギリシャの船団がトロイアの海岸に着いたとき、夫が一番先に砂浜に降り立ったのです。そのとき、隠れていた敵が躍り出て一斉に槍を投げました。その一本が、夫の胸を刺し貫いたというのです。
 ラーオダメイアは自室に駆け込みました。そのまま、一歩も出てきません。食事を摂ろうともしません。母の王妃が慰めても、父の王が元気づけようとしても、娘の心には届かないようでした。
 父王は、死んだ者を忘れさせようとして、縁談を持ち込んできましたが、ラーオダメイ アは断固として拒絶しました。
 ラーオダメイアは工匠を呼び、蝋で夫の似姿をつくらせました。夫の等身大の像を部屋に置き、心を込めて語りかけ、生きているか のように仕えました。
 ある夜、ラーオダメイアが夫の像に語りかけているところに、父王が血相を変えて飛び込んで来ました。剣を抜き、像に向かって出て行けと怒鳴りつけました。娘は像にすがりついて守りました。
 父王は、自分が怒鳴りつけている相手が蝋づくりの像だと気づきました。するとまた怒りが込み上げてきて、そんなもの焼き捨てろと怒鳴りましたが、激しいまなざしで睨みつける娘の勢いに、引き下がるしかありませんでした。
 トロイアで命を落とした夫のプローテシラーオスは、冥府にいながら、婚礼の宴に置いてきた妻が忘れられません。一時でいいから妻に合わせてくれと冥府の女王に頼みました。女王は哀れと思い、一晩だけ、生前の姿で地上に戻ることを許しました。
 その夜、プローテシラーオスは、生前の姿となって、ラーオダメイアの部屋に現れました。そこには、自分の似姿である蝋づくりの像に取りすがる妻の姿がありました。
 夫は妻に呼びかけました。妻は驚き、蝋づくりの像が声を出したのかと見上げました。
 そうではないと気づくと、周りを見回し、ようやく灯影に浮かぶ現身の夫の姿を認め、狂気のように夫にむしゃぶりつきました。泣きじゃくる妻を夫は優しく抱きしめました。
 妻は堰を切ったように今までの事を話しました。夫は頷きながら妻を見つめました。瞬く間に時間が過ぎました。
 夫は妻に言いました。私は冥府に戻らなければならない、と。妻はようやく、何が起きているのかを理解しました。しかし、二度と夫から離れたくはありません。そして、夫から離れない方法は一つしかありません。
 妻は、夫の遺品の中から剣を取り出しました。夫の目の前で、我と我が胸に剣を突き立てました。そして二人は手に手を取って、冥府に向かったのでした。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成28年11月号に掲載)