【随筆】−「メーデイアの物語」          浪   宏 友



 遠い昔の物語です。ヨーロッパとアジアの間にある黒海の東岸にコルキス国がありました。国王の娘メーデイアは冥府の女神ヘカテーに仕える巫女でした。
 その日、女神の社に向かっていたメーデイアは、街が騒がしいことに気づきました。巨船アルゴー号が港に入り、ギリシャの勇者たちが宮殿に向かったというのです。メーデイアは宮殿に引き返しました。
 正面に坐す国王の傍に后が立ち、王子・王女が居並んでいます。メーデイアは后の傍らに立ちました。
 ギリシャの勇者たちの中から、イアーソーンが進み出て王に挨拶したとき、メーデイアは胸に小さな痛みを感じました。女神アプロディーテーから遣わされた愛神エロースが金の矢をメーデイアに射かけたのです。メーデイアはそのときからイアーソーンが忘れられなくなりました。
 イアーソーンは、王の持つ金羊の裘(かわごろも)を貰い受けたいと申し込みましたがにべもなく断られました。それでもイアーソーンが熱心に説得しますので、王も断りきれなくなり、難題を持ち出しました。
 王の厩(うまや)に口から火を吐く牡牛がいます。この牡牛に軛(くびき)をつけて神の聖地を耕せと王は言い出しました。
 王は続けます。耕した畑に龍の牙を蒔け。すると甲冑をつけた武士たちが湧きだしてくる。この武士たちをすべて倒せ。それができたら金羊の裘を持って行ってよい。裘は森の奥の大樫に懸けてある。そこには巨大な龍が寝ずの番をしていて、裘に近づくものを容赦しない、と。どれ一つとっても難題です。
 ややあってイアーソーンは、やりましょうと言いきりました。メーデイアは、青ざめました。できるわけがないからです。イアーソーンが命を落とすに決まっているからです。
 部屋に戻ったメーデイアが胸を痛めて泣いているところに来客が告げられました。イアーソーンの一行に加わっていたメーデイアの腹違いの兄でした。兄はメーデイアに助力を懇願しました。女神ヘカテーの巫女であるメーデイアは、魔術を心得ていたからです。
 メーデイアはイアーソーンのもとを訪れて、一日だけ火と剣に耐えられる身体をつくる魔術を授けました。帰りに火を吐く牡牛の厩に入り、牡牛を鎮める薬草を食べさせました。
 翌朝、巨大な軛を持って待ち構えるイアーソ−ンめがけて、火を吐く牡牛が放たれました。イアーソーンは炎を浴びながらも牡牛を受け止め、力の限りを尽くして軛を牛にとりつけ、神の聖地を耕し始めました。
 耕し終わって龍の牙を畑に蒔きますと、たちまち地中から甲冑をつけた武士たちが次々に湧き上がってきました。イアーソーンはメーデイアから教えられた通り、武士たちの真ん中に大岩を投げ込み、自身は楯の陰に隠れました。武士たちは互いに剣を合わせ、次々に倒れていきます。武士たちがまばらになったころイアーソーンも飛び出し、武士たちと切り結んで、ついに一人残らず倒しました。
 これを見た王は、すっかり機嫌を悪くして宮殿に戻ってしまいました。
 その夜、メーデイアはイアーソーンを導いて、森の奥に入り、金羊の裘を懸けた大樫のもとに忍び寄りました。メーデイアは寝ずの番をしている龍に薬草をふりかけ、眠らせてしまいました。金羊の裘を手にしたイアーソーンと共に、メーデイアも巨船アルゴー号に駆け込み、出帆しました。
 翌朝、怒りに満ちた王が追っ手を差し向けましたが、その囲みを破って、アルゴー号はギリシャに向かいました。
 イアーソーンは、ギリシャのある国の若き王でしたが、叔父に王位を簒奪されていました。ギリシャに入ったメーデイアは、イアーソーンを助けて王位を取り戻しました。
 メーデイアがこの後たどる数奇な運命については、機会を改めたいと思います。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成29年2月号に掲載)