【随筆】−「ペーネロペイアの物語」          浪   宏 友



 ギリシャの西の方にイタキ島があります。この島のヴァティの港に、古代ギリシャの英雄オデュッセウスの像が建っています。逞しい大柄な男性がすっくと立って、海を見ています。土地の人びとには自慢の英雄なのだと思います。
 その昔、オデュッセウスは、イタケー(現在のイタキ島)の領主でした。筋骨たくましいばかりでなく智謀にも長けた武将でした。
 ギリシャ南方の王家に生れたペーネロペイアが、オデュッセウスの后となり、男児テーレマコスを儲けました。
 丁度その頃、トロイア戦争が勃発しました。スパルテー王の后ヘレネーを、トロイアの王子パリスが略奪したために、ギリシャ全土の武将たちが、ヘレネー奪還に立ち上がったのです。長男を得たばかりのオデュッセウスも、ギリシャの武将の一人として、この遠征に加わらないわけにはいきません。
 ペーネロペイアは幼い息子を抱きながら、船出する夫を見送りました。
 ギリシャ軍とトロイア軍は一進一退の闘いを繰り返し9年の歳月が流れました。ついに、木馬の奇策を用いたギリシャ軍がトロイアの城を陥落し、ヘレネーを奪い返しました。
 この知らせが、ペーネロペイアに届きました。ギリシャの武将たちはそれぞれに船に乗り帰還したという話も伝わってきました。まもなく夫も帰って来るにちがいない。ペーネロペイアは、期待に胸を膨らませながら待ちわびました。
 ところが、ほかの武将たちが戻ってきたというのにオデュッセウスだけは戻ってきません。亡くなったという知らせもありません。消息不明になってしまったのです。
 オデュッセウスが帰ってこない。この噂が流れると、イタケー島はもとより近くの国々から男たちが押し寄せて、ペーネロペイアに求婚するようになりました。求婚者たちは、オデュッセウスの城に入り込み、わがもの顔に酒盛りをはじめるのです。ペーネロペイアとその息子は、眉をひそめているのですが、どうにもなりません。
 あまりにしつこい求婚者たちに、ペーネロペイアは一計を案じました。オデュッセウスの年老いた父のために、装束を織り上げなければならないと言い、返事は織り上がってからという約束で待たせました。そうして昼間は機を織り続け、夜、皆が居なくなると、これをほどきました。
 いつまでも機が織りあがらないのを怪しんだ求婚者たちに侍女が買収されて、ペーネロペイアの策略が分かってしましました。
 オデュッセウスが消息不明になってから、10年が経ちました。なおもしつこく迫る求婚者たちに対して、ペーネロペイアは、最後の策に出ました。
 城の蔵からオデュッセウスの弓を持ち出し広間に斧を12本ならべました。そして、この弓に弦を懸け、12本の斧の間に矢を射通した方を夫にしますと告げました。
 競技の日、求婚者たちは入れ替わり立ち代わり弓に挑みましたが、誰一人として弓に弦を懸けることができません。業を煮やした求婚者たちは、もうこんなことはやめましょうと迫ってきました。
 そのとき、襤褸を纏った男が入ってきて、私にやらせてくださいと申し出ました。求婚者たちは嘲笑い、また怒り出して男を追い出そうとしましたが、ペーネロペイアは襤褸の男の申し出を許しました。
 男は弓を取ると懐かしげに見つめ、やおら弓に手をかけてやすやすと弦を懸けてしまいました。矢をつがえ、12本の斧に向かって放つと、矢は斧の間を見事に通り抜けました。
 男は求婚者たちに向き直ると、襤褸を脱ぎ捨て、正体を明かしました。オデュッセウスだったのです。
 ペーネロペイアが長い間待ち続けていた時が、ついに訪れたのでした。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成29年3月号に掲載)