【随筆】−「お稲荷さん」                浪   宏 友



 子供のころ、お稲荷さんはキツネだと思っていました。キツネが神さまとして祀られているのだと思い込んでいたのです。
 お稲荷さんに油揚げや稲荷ずしをお供えする年寄りがいたり、その油揚げを食べた子にキツネが憑いたという話を聞いたりしたために、なおのことキツネが神さまなのだ、お稲荷さんなのだという思い込みが深まりました。
 ある時、キツネはお稲荷さんの使いだという話を聞きました。そう言われて見れば、キツネはお稲荷さんのお社の前に、狛犬のように坐ってこちらを見ています。やはり、神さまのお使いのようです。
 それでは、お稲荷さんとは、どういう神さまなのでしょうか。
 奈良時代、時の天皇の詔で、全国各地の地誌が編纂されました。これを風土記と言います。風土記の多くは失われましたが、他の文献に引用されて残った話があります。逸文と言われます。山城国風土記の逸文に、稲荷の伝説が出ています。
 伊呂具秦公(いろぐのはたのきみ)は、富裕に奢り、餅を的にして矢を射ました。すると餅が白い鳥となって飛び立ち、山の峰に降り立ち、そこに稲が生じました。それから、伊奈利(いなり)という地名になりました。いわゆる地名伝説です。
 伊呂具は自分のしたことを悔いて、その場所に社を建てました。穀物の霊を祀ったのですね。お稲荷さんは、穀物の霊を神格化したもののようです。白い鳥は、稲をはじめとする穀物の霊なのだと思います。
 昔は、京都府の南のほうを山城といったようです。京都市伏見区に伏見稲荷大社があり、その背後に小高い稲荷山があります。その山頂に神社があります。このあたりが、伝説の舞台なのだと思われます。
 日本の神話で穀物の霊といえば、宇賀神さまを思い出します。伏見稲荷大社でも、宇賀神さまが他の神々と共に祀られています。
 この伝説で、お稲荷さんのいわれは分かりましたが、ここには狐が出てきません。
 お稲荷さんには、別の伝説があります。
 道元禅師のお弟子であった寒巖義尹(かんがんぎいん)禅師は、中国(当時は宋)に二度も渡りました。真の仏法を会得したかったからにちがいありません。
 二度目の入宋を終えて、船に乗り、日本に帰る途中のことです。寒巖禅師の見上げる空中に、神が現れました。稲束を荷い、手に宝珠を捧げ、白狐に跨った女神でした。
 女神は寒巖禅師に告げました。「私はダキニ天です。今からあなたが説く法を護ります。また、あなたの教えを聞いて実践する人々を護ります」。
 インド神話に、カーリーという暴力的な女神が登場しますが、その侍女の一人がダキニという魔女でした。ダキニは仏教に帰依して守護神になり、ダキニ天と呼ばれるようになりました。そのダキニ天が、寒巖禅師の前に出現したわけです。
 日本に帰った寒巖禅師は、人々に教えを説き、多くの事業を行って人々のために尽くしました。禅師は自らの手でダキニ天の像を彫り、守護神として大切に祀ったそうです。
 寒巖禅師亡き後、数代のちの弟子の一人が、豊川に妙嚴寺を開きました。その折、寒巖禅師伝来の千手観世音菩薩を本尊とし、ダキニ天を山門の鎮守として祀りました。
 ダキニ天は稲束を担っていましたので、稲荷と呼ばれるようになりました。また真っ白なキツネに乗っていましたので、キツネが稲荷神の使いということになりました。
 ここでようやく、お稲荷さんとキツネが結びついたというわけです。
 伝説にキツネが出てこない伏見稲荷大社でも、キツネが神さまのお使いになっています。
 町で見かけるお稲荷さんが、日本古来の神さまなのか、インド伝来のダキニ天なのか、私には見分けることができません。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成29年6月号に掲載)