【随筆】−「祇園信仰」                浪   宏 友



 「祇園」と聞きますと、京都市東山区にある繁華街、そして八坂神社の祭礼である祇園祭が思い浮かびます。
 「祇園」という地名は、京都ばかりでなく、各地に見られます。「祇園」とは、どこから出ている言葉でしょうか。
 今から2500年ほど以前のインドで、仏教の祖と言われるお釈迦さまが悟りを開かれ、人びとに教えを説かれました。
 コーサラ国の首都である舎衛城に住む給孤独(ぎっこどく)長者は、お釈迦さまの説法を聞き、深い感動を覚えました。
 給孤独長者は、祇陀(ぎだ)太子の所有する園林を譲り受け、精舎を建ててお釈迦さまの教団に寄進しました。精舎とは、お釈迦さまやお弟子たちが寝起きし、修行するための施設です。
 祇陀太子の園林に建てた精舎ですので「祇園精舎」と呼ばれました。「祇園」という地名は、この「祇園精舎」から出ているのです。
 奈良時代からか、もっと以前からか、牛頭天王(ごずてんのう)という神さまが、日本で信仰されるようになりました。
 牛頭天王は疫病の神として信仰されました。疫病の神とは、疫病を流行させる神であり、また疫病から人々を守る神でもあります。疫病とは悪性の流行病のことです。
 医療が発達し、衛生意識も向上している現代でさえ、インフルエンザ、ノロウイルス、はしかなどの流行病が恐れられています。昔は、こうした流行病には打つ手もなく、ただ神にすがるしかなかったことでしょう。
 平安時代に疫病が蔓延したとき、時の天皇が御霊会を催しました。このとき牛頭天王を祀り、無病息災を祈りました。牛頭天王は、祇園精舎の守護神とされています。祇園精舎の守護神を祀ったことから「感神院祇園社」あるいは「祇園社」と呼ばれるようになり、地名にもなってきたわけです。
 「祇園社」に祀られた神は牛頭天王、その妻の頗梨采女(はりさいにょ)、両神の御子神である八王子です。
 東京の八王子市をはじめ、八王子という地名が各地にありますが、この名称は牛頭天王の御子神である八王子にちなんでいます。
 明治時代に神仏分離令が発せられたとき、牛頭天王は仏教の神であるということで廃されました。「祇園社」の名称も廃され、「八坂神社」に改められました。
 祀られた神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、その妻の櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、両神の御子神である八柱御子神(やはしらのみこがみ)となりました。素戔嗚尊も疫病の神で、もともと牛頭天王と習合していましたから、名称が変わっただけとも受け取れます。
 祇園社のころのお祭りは祇園御霊会だったのですが、八坂神社になってからは祇園祭となりました。「祇園」は仏教から来た名称ですが、こちらは廃されませんんでした。
 祇園祭は、夏の始めに「どうか疫病が流行しませんように」と神さまにお願いするお祭りだと言います。だからこそ、農作業に忙しいこの時期に執り行なうのでありましょう。
 祇園祭は、京都の八坂神社だけで行なわれているわけではありません。かつては牛頭天王を祀り、現在は素戔嗚尊を祀っている神社は、八坂神社、天王神社、広峰神社など、全国に数千もあるといいます。これらの神社の多くで、毎年、祇園祭が行なわれています。
 これほどまでに信仰されてきた牛頭天王ですが、出自不明とされています。祇園精舎の守護神と言われながら、仏教の経典には牛頭天王の名は出てこないそうです。
 牛頭天王は朝鮮のある地方で生まれて日本に伝わり、日本で独自の発展を遂げた神さまとも言われています。
 民衆にとっては、出自など、どうでもいいのかもしれません。疫病から救ってもらう、その一点が大切なのですから。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成29年7月号に掲載)