【随筆】−「お薬師さま」                浪   宏 友



 阿弥陀如来、釈迦牟尼如来、大日如来など、日本では多くの仏さまが信仰されていますが、庶民に深く浸透し、親しまれてきた仏さまは、なんといっても薬師如来でありましょう。
 薬師如来は現世の苦悩から救ってくださる仏さまです。特に病気から救ってくださる仏さまとして信仰されました。
 薬師如来の像を見ますと、たいてい左手に薬壺(やっこ)を持っています。薬壺は、病気に苦しむ人々の病気を治してあげようという慈悲の心を表わしているとされています。
 身体の病気ばかりでなく、心の病気、生活の病気、人生の病気をも治してくださるということのようです。
 薬師如来の国には日光菩薩、月光菩薩が居て、仏の教えを守っているとされ、仏像では薬師如来の脇侍となっています。
 また、十二柱の神将が薬師如来の教えに感動して弟子となり、薬師如来の名号を唱える人々を守りますとお誓いしました。そこで、薬師如来像の周囲には、十二神将の像が立ち並んでいます。
 疫病(はやり病い)を司る神といえば、牛頭天王(ごずてんのう)を思い出しますが、この牛頭天王の本体は薬師如来であるとされることがあります。病気から守ってくださる神さまと仏さまということから、いつしか習合したのでありましょう。
 疫病は、その原因である病原菌が分かっている現在でも、厄介な問題です。何も分からなかった昔は、大変なことだったでしょう。原因も分からず、医者の手にも負えず、ただ見守るしかなかったにちがいありません。あとは牛頭天王や薬師如来に祈るだけだったことでしょう。
 牛頭天王や薬師如来が、日本各地に祀られたのは、人々の強い願いの表れだったと考えられます。
 現在も、日本の各地で、お薬師さんが大切に守られています。縁日が開かれ、お祭りが催されます。お薬師さんが生活の一部としてなくてはならない存在となっている、そのような地域が少なくありません。
 お薬師さんに親しみを覚えるあまり、それが仏さまであることに気づかない人がいるくらいです。
 薬師如来の伝説は、各地に伝えられています。中に、次のような伝説がありました。
 昔、この里に、親孝行な若者がいました。病気の父親と二人で、貧しい生活をおくっていました。
 ある冬の日、若者はいつものように漁に出掛けましたが、その日はどうしたことか一匹の魚も獲れませんでした。
 仕方なく帰り支度を始めたところ、夕暮れの沖合いに光るものが見えました。なんだろうと、急いで小舟を漕いで近づいて見ると、それは大きな貝だったです。若者は不思議に思いながら引き上げ、貝を持ち帰りました。
 病に伏せっている父親に貝を食べさせたいと思い、蓋を開けようとしましたが、貝は堅く閉じて開けることができません。
 どうしたものかと、里に住む行者に尋ねましたら、この貝は、若者の日ごろの孝養心をほめて、仏さまがくだされたものだと告げられました。それから行者が、七日七夜、一心にお経を唱えますと、堅く閉ざしていた貝が開いて、中から黄金の仏像が現れたのです。薬師如来さまでした。
 若者が、この仏像を我が家に祀り、真心の供養を捧げますと、父親の病気が日に日に良くなっていきました。
 里の人たちも、病気のときや心配事があるときに、この薬師如来さまにお参りして、数々の不思議をいただきました。
 その後、里の人たちは、石窟を掘り、薬師如来さまのお姿を岩に刻み、大切にしたと伝えられています。
 宮城県大和町の、黒川穴薬師に伝わるお話です。(浪)
 出典:清飲検協会報(平成29年9月号に掲載)