【随筆】−「閻魔さま」           浪   宏 友



 わらべ唄に「地獄極楽閻魔さんは怖い、針の山へ飛んでけ」というのがありました。
 嘘をつくと閻魔さまに舌を抜かれると脅されました。閻魔さまが舌を抜く道具と同じ形の大工道具があって、大工さんたちは“えんま”と呼んでいます。
 閻魔さまはもともと古いインドの神でした。最初は死者の楽園の王だったのですが、時代がうつるにつれて様変わりし、やがて死者を裁き地獄に落とす恐ろしい神になりました。
 その後、中国を経て日本に伝わる途上で、道教の説く冥界の王と融合しました。閻魔大王が中国のお役人の服装をするようになったのはそのためです。
 冥界には死者の生前を審理し、行く先を決める王が十人いて、十王と呼ばれています。閻魔大王は五人目の王です。十王のうち九人は中国出身でインド出身は閻魔さまだけです。
 死者が、閻魔大王の前に引き据えられますと、大王は大声で問いかけます。悪事を重ねてきた者は、恐ろしい顔と恐ろしい声に震え上がってしまいます。
 閻魔大王のデスクには、閻魔帳が開かれています。ここには、死者一人一人の生前の行ないが記録されています。これを見ながら、死者に質問をします。ここで嘘をつくと、先ほどの道具で舌を抜かれてしまいます。
 人頭杖(にんずじょう)と呼ばれる杖が二本あり、それぞれ赤い顔の男の首、白い顔の女の首が柄の上に乗っています。赤い顔の男は悪を見通し、白い顔の女は善を見通します。
 浄玻璃(じょうはり)の鏡の前に立つと、生前の善悪の行為が浮かび上がります。
 恐ろしい顔の閻魔大王の前で、これだけ念入りに調べられたら、誤魔化しようがありません。それぞれ、生前に積み重ねてきた行ないに応じて、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界のいずれかの世界に送られます。ここで裁きがつかないときは、次の王に送られます。
 閻魔大王は、どちらかと言えば裁判官のイメージです。しかし、本来の仏教には、神仏が衆生を裁いたり、罰を与えるという思想がありません。神仏が救おう救おうと差し伸べる手をはねのけて、自分から悪の道に入り、自分で苦悩を呼び込んでいると考えています。
 閻魔大王が裁かなくても、良いことをしている人は安らかな日々を送りますし、悪いことを重ねた人は苦悩の淵に沈みます。すべて自分の行為が決めると仏教は言っています。
 それなら閻魔大王は、何のためにいるのでしょうか。それは、閻魔大王の本当の姿を知れば推測できます。閻魔さまの本体は、実は、お地蔵さまなのです。
 だれが考え出したのか知りませんが、十王について記した古い文献には、確かにそう書いてあります。
 慈愛に満ちた優しいお顔で、衆生を見守るお地蔵さまが、よりによって、一番恐ろしい閻魔さまになって、衆生の前に現れる。これはおそらく、優しく言っても分からない人や、ことわりを説いても聞く耳を持たない人などに対する姿なのでしょう。
 東京の新宿二丁目にある大宗寺に入ると、右手に大きなお地蔵さまが座っています。その先のお堂には、大きな閻魔さまがいて、目を見開いてこちらを見下ろしています。この閻魔さまが、本当はお地蔵さまなんだと言われても、ちょっと信じられません。
 NHKアニメワールドの「おじゃる丸」にもエンマ大王が出てきます。ちょっと怖い顔をしているけれども、根はやさしいおじさんといった感じです。ウクレレを弾いて歌うなど、すっかり現代に馴染んでいます。そういえば、最近のアニメに登場する閻魔さまは、どれも、あんまり怖くないですね。
 あの世に行くと、閻魔さまに裁かれるとか、嘘をつくと閻魔さまに舌を抜かれるとか、現代の人々にとっては、説話のひとつにすぎないのかもしれません。(浪)
 出典:清飲検協会報(平成29年10月号に掲載)