【随筆】−「お地蔵さま」           浪   宏 友



 裾花川に架かるあやとり橋のたもとに、ある日、お地蔵さんが姿を現しました。二頭身半くらいの小さな体で、小首をかしげて合掌するかわいらしいお地蔵さんです。「あやとり地蔵」と台座にありました。どなたかが、願いを込めて建立されたのですね。
 あやとり地蔵さんから歩いて3分ほどの、大通りの歩道橋下にもお地蔵さんがいます。四季折々に衣替えをしているところを見ると、どなたかが大切になさっているのでしょう。
 どこに行ってもお地蔵さんに出会います。お地蔵さんは、人びとから親しまれ、大切にされています。
 お地蔵さんは、地蔵菩薩といって、仏教の経文に説かれている菩薩さまです。
 多くの菩薩さまは、きらびやかな服装をして、首飾り、腕飾りを着け、宝冠をいただいたりしています。ところが地蔵菩薩さまは、剃髪して、衣一枚という質素なお坊さまの姿です。その意味では、ちょっと変わった菩薩さまと言えるのかもしれません。
 地蔵菩薩さまは、その名の通り、大地を象徴する菩薩さまで、あらゆるものを育む慈悲の象徴です。天空を象徴する菩薩さまは、虚空蔵菩薩さまで、あらゆるものを見通す智慧の象徴です。お二人で、慈悲と智慧という二つの徳分を表しています。現在は、別々に祀られることが多いようです。
 お地蔵さんには、面白い役割があります。
 釈迦如来という仏さまが人間世界で教えを説き、多くの衆生を救って入滅しました。
 次に人間世界に出現する仏さまは、兜率天で修業をしている弥勒菩薩さまです。釈迦如来が入滅してから56億7千万年後に弥勒如来となって人間世界に現れ、衆生を救ってくださることになっています。
 その間は仏さまが居ませんから、衆生は、仏の救いをいただくことができません。
 これではいけないというので、釈迦如来の弟子である地蔵菩薩さまが、その間、衆生を救う役割を担うことになりました。いわば、中継ぎなんですね。
 野球の投手には、先発、中継ぎ、締めくくりという役割があるそうですが、仏さまの世界にも中継ぎがあったのですね。
 仏教では、私たちはその心と行いによって、六つの世界を巡り歩くとされています。地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界です。この六つの世界を巡り歩いている限り、苦悩から脱することはできません。
 この六つの世界を抜け出して、阿弥陀如来の西方極楽浄土とか、薬師如来の東方浄瑠璃世界とかに生まれかわれば、苦悩はなくなります。そこで人々は、苦悩のない世界に生まれることを願って仏さまにすがるのです。
 地蔵菩薩さまは、慈悲の菩薩さまですから、苦悩する人間たちをかわいそうに思い、仏の救いに導いてあげようと手を差し伸べます。
 あるお経には、地蔵菩薩は身を六つに分けて、地獄などの六つの世界に行って、苦悩する人々を救うと説いています。
 よく路傍に、六体のお地蔵さんが並んでいます。六地蔵さんです。一体ごとに、六つの世界のいずれかを担当しているのです。
 六地蔵さんが登場する有名な民話がありました。雪国を舞台にした「笠地蔵」です。
 大みそか、お爺さんが笠を売ろうと町に出かけましたが、ひとつも売れませんでした。帰り道に雪が降ってきました。見ると六地蔵さんが雪に降られています。お爺さんは売れなかった笠をかぶせてあげました。家に帰ってお婆さんにこの話をしますと、お婆さんも心から喜んでくれました。
 その夜、突然外がにぎやかになり、戸口でどさっと音がします。おどろいて出てみると、そこにお餅やらご馳走やらが置いてあります。お地蔵さんたちが持ってきてくれたのでした。
 老夫婦のまごころと、お地蔵さんたちの思いやりが行き交う温かな物語として、語り継がれている民話です。(浪)
 出典:清飲検協会報(平成29年11月号に掲載)