【随筆】−「七福神」           浪   宏 友



 七福神が宝船に乗ってやってくる。そう言われて宝船の絵を見れば、船の舳先が真正面に見えます。まっすぐ、こちらに向かっているのです。
 「宝」と書かれた帆の前に、七柱の神々が幸福をいっぱい持ってきたよとばかりの満面の笑顔で、こちらを向いています。
 宝船の絵には、しばしば、次の歌が添えられます。
 「なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな」
 これは回文になっています。前から読んでも後ろから読んでも同じです。漢字かな交じりで書けば次のようになります。
 「永き世の 遠の眠りの みな目ざめ 波乗り船の 音のよきかな」
 現実生活は悩み、苦しみの連続です。幸せの青い鳥は自分のそばに居るとメーテルリンクに言われても、なかなか信じられません。やはり幸福は、どこか遠い海の彼方にあるような気がします。
 その遠い海の彼方から、幸福をもたらす神さまが、七柱も来てくれるというのですから、これは宝船にちがいありません。
 ところで、七福神は、どこで、いつごろから始まったのでしょうか。
 仏教と共に日本に伝わったインド由来の神が、七福神のなかに三柱います。
 大黒天が、日本由来の大国主命と集合して、福の神として民間で信仰されるようになったのは平安時代らしいと言われています。
 毘沙門天が、民間で信仰されるようになったのもそのころのようです。
 弁舌の神である弁才天が、財産の神の弁財天に変わり、もてはやされるようになったのは鎌倉時代ではないかと思われます。
 中国由来の神さまがやはり三柱います。いずれも、仏教の禅と共に日本に伝わってきたようです。
 福禄寿と寿老人は道教に関係の深い神さまで、一説では、南極老人星の化身であり、同一神であると言われます。南極老人星とは、南の空に現れる明るい星カノープスで、日本ではなかなか見ることができません。
 やはり中国から伝わってきた布袋さまは、実在した仏教の僧侶で、弥勒菩薩の化身と言われているそうです。
 日本の神は、恵比寿さまです。伝承では、エビスは、イザナギノミコトとイザナミノミコトの子供です。三歳になっても自分で立つことができなかったため葦(あし)の船に乗せられて海に流されました。その後、漁民に大漁をもたらす神として戻ってきました。数奇な運命を担っていたのですね。
 この七柱の神々は、それぞれ単独に拝まれていたのだと思いますが、室町時代の末頃、近畿地方で七柱の神々がセットになっている例が見られるそうです。そのころは、メンバーが一定していなかったようです。吉祥天が居て寿老人が居なかったり、お多福・ひょっとこが入っていたり、そのほかの神々も参加して、入れ替わり立ち代わりだったようです。
 ところで、なぜ「七」福神なのでしょうか。
 「七」はラッキーセブンというように、幸福につながる数と考えられています。これは、時代を超えて、また地域を超えて、そのように信じられてきたようです。
 仏教の仁王経というお経に“七難即滅七福即生”とあるそうです。仏の説く教えを理解し、信じて、実践すれば、七つの災難が消滅して、七つの幸福が生じるというのです。七福神は、七難を滅して七福を生じる神々として迎えられているのかもしれません。
 七福神が庶民の間に定着したのは、やはり、世の中も一応の安定を見た江戸時代なのではないでしょうか。そのころから、神々のメンバーも一定してきたようです。
 現代も、七福神めぐりが行なわれたりしています。七福神人気は、これからもずっと続くに違いありません。(浪)
 出典:清飲検協会報(平成30年1月号に掲載)