【随筆】−「観音さま」           浪   宏 友



 長野から北陸新幹線で東京へ向かう途中、高崎で右側の窓から山の方を見ますと、遠くに観音さまが見えます。高崎市の観音山に建つ白衣観音です。車窓からは小さく見えますが、像高41.8メートルです。昭和11年の建立と聞きました。
 仙台には地上100メートルの観音像があるそうです。このほかにも、巨大な観音像が日本各地にあると聞いています。
 巨大な像がいくつも建立されるということは、観音さまに対する人々の思い入れが尋常ではないことを示しています。こんなに人々の心を引き付ける観音さまとは、一体、何者なのでしょうか。
 『観音経』と呼ばれるお経があります。このお経に登場する「観世音菩薩」が観音さまです。観音さまの師匠の釈迦牟尼如来(お釈迦さま)が、観世音菩薩という名前のいわれを述べています。
 「苦しみ悩んでいる人びとが、一心に観世音菩薩の名を唱えますと、すぐにその声を聞きとって救ってくださるので、観世音と呼ばれるようになりました」
 「世音」は「世間の音」で、「人々の心の声」です。「観」は「心を込めてよく見る」という意味です。人々の声をよく聞き、その声の奥にある苦しみ悩みをよく観て、救いの手を差し伸べるのが観音さまなのです。
 観音経には、観世音菩薩が三十三通りの姿を現して人々を救うとあります。救う相手に応じて、自由自在に姿かたちを変えるのです。
 そう言われて見れば、実にさまざまな観音さまがいます。
 十一の顔を持つ「十一面観音」があります。優しい顔のほかに厳しい顔や怒りの顔を持っています。どの顔も、その奥には観世音菩薩の深い慈悲が息づいています。インドの創造神ブラフマーはいくつもの顔を持っています。十一面観音のもとが、このあたりにあるのかもしれません。
 千の手を持つ千手観音があります。数知れぬ衆生を救うために、数知れぬ救いの手を差し伸べる姿を表したのだと思われます。インドの女神ドゥルガーは、多くの手を持つ姿で描かれます。この姿から千手観音が構想されたという説があります。
 いわれはともあれ、観音さまは人々に慕われ続けてきた菩薩さまです。
 ある浜に伝わる説話です。
 昔、海辺に若い漁師がいました。若者は浜で海に網を入れましたが、どうしたわけか、小魚一匹かかりません。そんな状態が数日続いているのです。
 この日も漁がないまま若者が網を片付けていると、見かけない娘が一人、軽い足取りで岩場を渡ってきます。見ると、娘のかごには魚がいっぱいです。
 若者は思わず問いかけました。娘は、岩場の向こうを指さして「観音経を唱えながら、あの三本松のあたりに網を入れてみなされ」と言って立ち去りました。
 翌日、娘に言われた通り、若者が観音経を唱えながら三本松のあたりに網を入れますと、ずしりと手ごたえがありました。網を上げるとなんと、立派な観音さまの像がかかっていたのです。驚いた若者は、観音像を抱えて、村のお寺に急ぎました。
 お寺の門前に行くと、そこに見知らぬ娘が立っていました。若者が近づくと、崩れるように倒れ込みました。駆け寄った若者が娘を抱き起して驚きました。昨日、浜辺であった娘とうり二つだったからです。
 お寺の本堂で目覚めた娘が言うには、夢枕に立った観音さまのお告げで、この浜辺に嫁ぎに来たというのです。その相手が自分であると聞かされて若者はまた驚きました。そうか、昨日の娘は、観音さまの化身だったのかと得心しました。
 二人はめでたく結ばれて、末永く幸せに暮らしたということです。 (浪)
 出典:清飲検協会報(平成30年3月号に掲載)