【随筆】−「百鬼夜行」        浪   宏 友



 「百鬼夜行絵巻」というものがあります。さまざまな妖怪たちが集団で歩くありさまが描き出された絵巻物です。擬人化された鳥獣や器物、異様な人物や骸骨などが次から次へと登場します。
 「百鬼夜行」といいますから、次から次へと鬼が登場するのかと思いましたが、実際には、鬼は少ししか現れないようです。
 「百鬼夜行絵巻」は、室町時代からつくられたそうです。はじめにつくられた絵巻が転写され、その際にいくばくかの改編が行われたりして、よく似ているけれどもどこか違う絵巻物が数多く伝わっているということです。
 百鬼夜行の伝説があります。
 平安時代に勢力をふるった藤原氏の御曹子の話です。この御曹子は夜遊びが好きで、毎晩のように出かけては、両親から咎められていました。この晩も、うるさい母親の目を盗んで馬に乗り、従者を一人連れただけで愛人のもとに向かいました。
 しばらく行きますと、向こうの方から大勢の者が、炬火をかかげ、道いっぱいに広がって、騒ぎ立てながらやってきます。顔見知りの者がいたらまずい。そう思った御曹子は、近くにあったお寺に入り、門を閉じ、かんぬきをかけて、通り過ぎるのを待ちました。
 やがて、近づいてきた集団を見て驚きました。大勢の鬼たちだったのです。御曹子と従者は門の陰にうずくまり息をひそめて、鬼たちが通り過ぎるのを待ちました。
 門の前を通り過ぎた鬼の一人が立ち止まり、こちらを指さして言いました。
 「あのあたりで人間の匂いがしたぞ」
 一人の鬼がこちらに向かって駆け出してきました。御曹子と従者は恐ろしさに抱き合っていっそう縮こまりました。鬼はすぐ近くまで来て、立ち止まり、引き返して行きました。
 「どうして捕まえてこない」
 「駄目だあいつは捕まえられない」
 これを聞いた鬼の大将が、こちらに向かってきます。すぐそばまで来て、叫びました。
 「だめだ。こいつには尊勝陀羅尼尊がついている」
 これを聞くと、鬼たちは炬火を放り出して四方八方へと逃げ出しました。
 御曹子と従者は、恐怖に震えながら屋敷に戻りました。出迎えてくれたのは御曹子の乳母でした。御曹子は悲鳴を発するように、乳母にことの次第を話しました。そして、訊ねました。
 「私に尊勝陀羅尼尊がついていると言って、逃げて行ったが、どういうことだろう」
 乳母は大きくうなずきました。
 乳母の弟に、出家して修行し、今では人々に崇められているお坊さまがいました。乳母は、このお坊さまに頼んで、尊勝陀羅尼の経文を頂き、御曹子の上着の襟に縫い込んでおいたのです。乳母は、御曹子を抱きしめて、いつまでも泣いていました。
 こんな説話もあります。
 ある遊行僧が、摂津の国(兵庫県)あたりで行き暮れて、人気のない古寺に一夜の宿をとりました。
 遊行僧は、柱にもたれ、不動明王のお経を唱えながら夜明けを待ちました。僧は、賑やかな声に目を覚ましました。見ると、明かりを掲げながら大勢の人影がお堂に入ってきます。よく見ると、それは鬼たちでした。僧は恐ろしさに震えながらも、不動明王のお経を唱え続けました。すると、一人の鬼がそばに来て「わしの席にお不動さまがいらしゃる。申し訳ないがよそへお移りください」と、僧を抱えて縁の下に置きました。
 夜が明けると、僧は、見たこともない広野にいました。通りかかった人に尋ねますと、ここは肥前の国(佐賀県)だといいます。お堂から縁の下に運ばれたと思ったのが、摂津の国(兵庫県)から肥前の国(佐賀県)まで運ばれていたのです。鬼の力の大きさに僧は改めて身震いするのでした。 (浪)
 出典:清飲検協会報(平成30年5月号に掲載)