【随筆】−「宇治の橋姫」        浪   宏 友



 琵琶湖から流れ出した瀬田川は、やがて宇治川となり、木津川、桂川と合流して淀川となります。宇治川にかかる橋のひとつが、宇治橋です。
 宇治橋は飛鳥時代に架けられたと言われる古い橋です。現在の橋は平成8年に架け替えられたもので、木製高欄のつくりです。
 橋の西詰め寄りに、上流に向かって小さな張り出しがあり、三の間と呼ばれています。昔はここに瀬織津姫を祀った社があったそうです。瀬織津姫は、当時広く信仰された水の女神さまでした。宇治川や宇治橋を守護してくださいという願いが、社に込められたのでしょう。橋を護る女神さまということで、橋姫とも呼ばれたと伝えられています。
 時代は下って、平安時代の文書に、次の歌があるそうです。
  さむしろに衣かたしきこよいもや
  われをまつらむ宇治のはし姫
 この時代、貴族の間では通い婚が行なわれていました。この作品は、今夜も行くことができない私(夫)を、妻はひとりで待っていることだろうと歌っています。妻を「宇治のはし姫」と呼んでいるのは、宇治橋の近くに住まいがあったからだと思われます。
 「宇治のはし姫」と呼ばれた女性が懐妊して、長いワカメが食べたいと男性に言いました。男性がワカメを求めて浜辺に行きましたところ、竜王にさらわれてしまいました。
 男性が幾日も帰らないので、女性は浜辺を探し歩きました。浜に小屋を作り寝泊りまでして探し歩いたところ、ようやく男性が先ほどの歌を詠みながら現れました。そして、自分は竜王にさらわれて海の中にいるので帰ることができないと言いながら姿を消しました。女性は、泣く泣く帰るしかありませんでした。
 この男性には、妻がもう一人ありました。この妻も夫に会いたくてたまりません。「宇治のはし姫」の噂を聞いて、自分も浜辺に出て夫を待ちました。
 ようやく男性が現れました。やれうれしやと駆け寄ろうとしたとき、男性があの歌を読みました。この妻は愕然としました。この歌は「宇治のはし姫」に向かっていて、自分は無視されていたからです。
 この妻は怒り狂って男に飛びかかりました。すると男は雪のように消えて、二度と現れることはありませんでした。
 さらに時代が下って、鎌倉時代の物語です。
 ある公卿の娘が、貴船の社に籠って願をかけました。なんと、自分を生きながらの鬼にしてくれというのです。憎くてたまらない女を取り殺したい一心での願いでした。
 満願の七日目に貴船明神が現れて託宣しました。本当に鬼になりたいのなら、姿を改めて宇治の河瀬に三七日漬かれというのです。
 しかし、人びとの幸せを願って貴船に降り立った神さまが、こんな託宣をするとは思えません。神ではなく鬼が出て託宣したという伝承もあります。私はこちらを採りたいと思います。
 この娘は喜びました。早速、長い髪を五つに分けて五つの角を作り、顔・体を赤く塗り、鉄輪を逆さにかぶって三本の足に松明を括りつけて燃やしました。口にも松明をくわえて両端に火をつけました。この姿で夜更けに都大路を駆け抜けて宇治川の急流に入りました。すさまじい怨念です。
 こうして二十一日の間、宇治川の急流につかり、ついに生きながらの鬼になりました。
 鬼となった娘は、いよいよ復讐を遂げようと、憎む女の住まいに向かいましたが、安倍晴明に邪魔されて、目的を遂げることはできませんでした。
 「宇治の橋姫とはこれなるべし」と、この伝説は締めくくられています。
 飛鳥時代の高貴な橋姫に比べると、ずいぶん落ちぶれてしまったなと思います。
 「宇治の橋姫」の物語にも、時代が影を落としているのでありましょう。(浪)
 出典:清飲検協会報(平成30年6月号に掲載)