【随筆】−「鬼来迎」        浪   宏 友



 ケーブルテレビを見ていましたら、「鬼来迎(きらいごう)」と題する番組が始まりました。「鬼来迎」とは、珍しい言葉だなと思いました。
 「来迎」とは「お迎えが来る」ということで、通常は阿弥陀如来あるいはその弟子の菩薩が、信仰篤い人の臨終の床に現れ、生涯を閉じると蓮華の台(うてな)に乗せて西方極楽浄土に連れて行ってくれるという信仰上の思想です。
 本来は「仏の来迎」「菩薩の来迎」であるべきところが「鬼の来迎」となっているので珍しいと感じたわけです。
 千葉県山武郡の九十九里浜に面した横芝光町に虫生(むしょう)という地区があります。この地区にある広済寺では、毎年8月16日に施餓鬼の供養が行われます。その締めくくりに演じられる仮面劇が「鬼来迎」です。
 本堂前に仮設舞台がしつらえられて幕が引かれています。濃い色の幕に、太く大きな文字で「鬼来迎」と白く染め抜かれています。 幕が開かれると、舞台背景が緑の枝葉で埋められています。閻魔大王が現れます。続いて倶生神、鬼婆、黒鬼、赤鬼が登場します。
 そこに白い布で全身を覆った亡者が現れます。この亡者は女性です。但し、俳優さんは男性です。亡者は閻魔大王の前に引き据えられ、罰を言い渡されると、鬼たちに追い立てられて舞台そでに入ります。
 次の場面は、賽の河原です。さきほどの亡者を先頭に、子供の亡者たちが一列に連なり、下を向き、悲しげに登場します。男の子、女の子で6人ばかりです。
 子供たちが賽の河原で石を積んでは手を合わせていると、客席から白い礫が次々と飛んできます。おひねりのようです。
 黒鬼、赤鬼が現れ、子供たちを地獄へ追い立てようとしますと、お地蔵さまが現れて、子供たちを救い出します。
 次の場面では、さきほどの亡者が、黒鬼、赤鬼、鬼婆に囲まれ、大きな湯釜に投げ入れられます。鬼婆が大きな団扇でかまどをあおいだり、鬼が棍棒で湯釜をかき回したり、なかなかの演出です。釜ゆでにされた亡者を、鬼たちが棍棒で吊し上げて運んでいきます。
 次の幕は、死出の山です。鬼婆、黒鬼、赤鬼が、いやがる亡者を死出の山に追い立てます。山の上で、黒鬼が巨石を振り上げ、亡者の頭を殴りつけますと、亡者は血を吐いて苦しみます。迫真の演技です。
 死出の山から引きずり降ろされた亡者をさらに黒鬼、赤鬼が責めたてているところに、観音菩薩が現れます。
 観音菩薩は鬼たちを説得し、卒塔婆を立てて亡者を連れ去ります。鬼たちは悔しがりながら亡者の卒塔婆を抜き取り、地面に叩き付けて幕になります。
 鎌倉時代に始められ、虫生の里人によって守られてきたというこの仮面劇から、何を感じ取るかは、見る人それぞれでありましょう。
 「鬼来迎」は、国から重要無形民族文化財に指定されています。東京国立劇場で上演され好評を博したこともあるそうです。
 この仮面劇には発祥の伝説があります。
 鎌倉時代の初期、禅僧石屋(せきおく)が諸国を巡る途中、虫生の里に入りました。
 辻堂を一夜の宿にしていた石屋が目を覚ましますと、外で、若い娘の亡者が鬼たちに激しく責められています。どうやら父親の悪業の報いを娘が受けているようです。
 翌日、娘の親がこの土地の領主であることを知り、石屋は領主を訪ねました。
 石屋から、自分の悪業によって娘が鬼たちに責めたてられていると聞いた領主は、悔い改めることを誓いました。そして、お寺を建てて娘の後生を願いました。
 その後、石屋によって、鬼来迎が始められたと伝えられています。鬼来迎で鬼たちに責めたてられる亡者が女性なのは、この伝説によるのでありましょう。 (浪)
 出典:清飲検協会報(平成30年8月号に掲載)