【随筆】−「失くしたかんざし」    浪   宏 友



 憑依(ひょうい)という言葉があります。形を持たない霊とか、神とかが、誰かに取り憑くことを言います。
 テレビの時代劇では、行者が祭壇の前で火を焚いたり、呪文を唱えたりして祈りをささげますと、神が降りて御託宣を述べるとか、亡くなった人が行者の口を借りて恨みを並べるというような場面があったりします。この行者は、実は悪人の手先で、演技をしていたのだという落ちになることが多いようです。
 現代でも、青森の恐山では、イタコと呼ばれる巫女が、口寄せをするそうです。依頼に応じて、亡くなった人の言葉を、イタコの口から親族に聞かせるのです。
 動物霊がついた人が、その動物とそっくりの行動を取って、周囲の人々を驚かせることがあります。このようなとき、除霊をするなどして動物霊を離れさせます。これは精神現象に違いないという人もいれば、いや本当に憑くんだという人もいればで、諸説紛々です。
 古い時代の朝鮮の楊州(やんじゅ)でのこととして、次のような話が伝わっています。
 ある屋敷で、下働きの若い女に鬼が憑きました。鬼としては、この家の者なら誰でもよかったのでしょうが、この女が一番憑きやすかったのかもしれません。
 それからというもの、この女が、誰かの吉兆禍福を話しますと、百発百中、一度も外れたことがありませんでした。あまりに当たるので、人びとはこの女を怖がりましたが、一方で女の言うことを誰も疑わなくなりました。
 託宣をするときの声や言葉が、女のものではなくなることに気づいた人々が、女に憑いた鬼が語っているからだと話し合いました。そうかといって、この鬼は、家や人に悪さをするわけでもありませんでした。
 あるとき、この家の当主の夫人が、高価な釵(さい、二又のかんざし)を紛失しました。夫人は、身の回りの世話をする召使の一人に疑いをかけて、白状しろと迫りました。召使は、自分はそんなことはしていないと否定します。夫人は召使を打ったり、叩いたりして、釵を出せと激しく折檻します。身に覚えのない召使は、たまりかねて、あの女のところに駆け込みました。
 鬼は、どこにあるかは分かっているけれどと言い渋ります。早く言ってくださいという召使に、いや、奥さまに直接お話ししたいといいます。
 やむなく夫人にその旨を伝えると、なんで私が下女ごときの話を聞かなければならないのだと、動こうとしません。なだめすかしてようやく夫人に足を運んでもらいました。
 鬼は、人払いをしてほしいと言います。夫人はますます怒って、そんな必要はないと怒鳴りつけます。
 あとあと困ることになるから、是非、人払いをしてくださいと言いますが、夫人は頑として聞き入れません。
 やむなく鬼は話し始めました。
 「あれを失くしたのは、奥さん、あなたご自身です」と鬼は言います。「私が失くしたって、でたらめを言うな」と夫人が食ってかかります。
 鬼は、言いました。「まあ、お聞きなさい。あなたは、四日前に、男の人と楮(こうぞ)畑に入りましたね」
 夫人は、顔色を変えました。一座のなかから一人の男が隠れるように走り去りました。
 鬼は続けます。「そのとき、釵が邪魔になると言って、楮の枝に掛けましたね。釵は、そのままになっています」
 夫人の召使たち数人が、楮畑の鬼の言うあたりに急ぎ、手分けして探して、見つけてきました。
 夫人は物も言わずに自室へ駆け込み戸を固く閉ざしてしまいました。
 その後のいきさつは分かりません。ただ、此の家の主人が鬼と話し合い、鬼がこの家を出て行ったと伝えられています。(浪)
 出典:清飲検協会報(平成30年11月号に掲載)