【随筆】−「善光寺参り」           浪   宏 友



 長野駅前から100メートルほど先の末広町交差点を右折し、1キロメートル半ほど歩くと大門の交差点に出ます。横断歩道を渡ったあたりから町の雰囲気が変わってきます。善光寺の香りがしてくるのでしょう。
 しばらく歩くと、道の左側に郵便ポストがあります。円筒型の昔懐かしいポストで、和風の旅館らしき建物の前にあります。近づいて見ると、「善光寺郵便局」の看板が出ています。どうやら、かつての旅館をそのまま利用した郵便局のようです。
 ほかの建物も、ほのかに時代を感じさせてくれます。どうやら通り全体で、古い町並みを大切にしているようです。
 さらに行くと、「善光寺」の表示のある信号に出ます。道向こうの正面に道幅の狭い通りがまっすぐ伸びていて、入り口付近の左右に石灯籠が立っています。かつてはここに二天門があったと聞きました。ここから善光寺本堂まで、ずっと石畳の参道が続きます。
 右側の石灯籠の足もとに、「長野市道路元標」があります。おそらく記念碑的なものだと思いますが、善光寺を中心として長野市が発展してきましたという気持ちを表しているのでしょう。
 参道の左側は「大本願」と称する浄土宗の寺院です。ご住職は尼僧で、尼公上人と崇められています。
 その先の左側に「大勧進」と称する天台宗の寺院があります。ご住職は貫主(かんす)と呼ばれています。
 善光寺には檀家もありませんし、住職も居住していません。大本願の尼公上人と、大勧進の貫主が、善光寺の住職を兼ねています。善光寺の長い歴史の中で、このような形が確立してきたのです。
 宗派の異なる二人の住職が居ますので、善光寺の朝のお勤め(お朝事)は、二度行なわれます。
 二天門跡から仁王門までの右側には、宿坊が並んでいます。
 仁王門の先、山門の手前に、源頼朝に由来する駒返り橋があります。仁王門から駒返り橋の間は、仲見世通りです。居並ぶ店々のもうひとつ裏にも宿坊が並んでいます。全国各地から訪れる信仰者の皆さんが、これらの宿坊に泊まって善光寺を懇ろに参拝します。
 仲見世通りの中頃、左側にお地蔵さんが座っています。その右側に小路があって、その奥に宿坊があります。世尊院釈迦堂です。ここの御本尊は、お釈迦さまの涅槃像です。
 駒返り橋を過ぎますと、右側に六地蔵さんと、濡れ仏と呼ばれる大きなお地蔵さんが、こちらを見ています。
 左側には放生池(ほうじょういけ)があり、大勧進の門から橋が架かっています。この池は防火用水なのだそうです。
 橋で二つに仕切られた池の善光寺側には蓮があり、季節になると花を咲かせます。これは、大賀ハスだそうです。昭和26年に大賀一郎博士が発見した、縄文時代に咲いていたという古代ハスです。
 山門をくぐると正面に善光寺本堂が聳えています。質素ではありますが、さすがに重厚です。古い時代から、多くの人びとを抱擁してきた風格を感じさせます。
 善光寺本堂は撞木(しゅもく)づくりだと説明されますが、本堂を仰ぎ見ただけではその意味が分かりませんでした。善光寺本堂の航空写真を見た時に分かりました。
 撞木というのは、半鐘などを打ち鳴らすために使うТ字形の木の棒ですが、善光寺本堂の棟の形が、まさしくТ字形をしていました。正面から見た場合、外陣(げじん)の棟が縦向き、内陣(ないじん)の棟が横向きになっていたのです。
 本堂の前に据えられた大香炉の煙で身を浄めて、本堂正面の階段を登ります。
 善光寺は、私を、どのように迎えてくれるでしょうか。(浪)
 出典:清飲検協会報(平成31年4月号に掲載)