【随筆】−「仁王門の神々」    浪   宏 友



 善光寺の参道に入りますと、正面に、仁王門が見えます。近づきますと、「定額山」の山号が見えてきます。伏見宮貞愛親王(ふしみのみやさだなるしんのう、安政5年〜大正12年)の筆になるものだそうです。
 奈良時代から平安時代にかけて「定額寺」という制度があったそうです。地方の氏族の建てた寺が、一定の条件を満たせば、国から定額寺に認定され、補助を受けることができたのだそうで、善光寺が定額寺であった可能性は高いそうですが、それがこの山号に関係があるかどうかは、分かりません。
 仁王門には、左右に仁王さまが立ちはだかっています。筋骨隆々の大きな身体、かっと見開いた眼、力強く身構えた姿は、邪悪なものは一歩たりとも門内に入れないという強い意志を表しています。
 仁王像は、右が阿形、左が吽行になることが多いそうですが、ここでは、左が阿形、右が吽形です。いずれも、高村光雲とその弟子の米原雲海による作だそうです。
 インドで生まれた仏教は、インドの人々が信仰していた神々を、守護神として取り入れました。天の神々と呼ばれています。
   創造神である梵天、天空の神である帝釈天は真っ先に取り入れられたそうです。須弥山の四方を守る四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)も、はやくから仏教の守護神となったそうです。これらの神々と共に執金剛神(金剛力士)も仏教の守護神となりました。
 最初は一人だった執金剛神が、いつしか二人に分かれ寺院の門を左右から守るようになり、「仁王」と呼ばれるようになりました。
 善光寺の仁王さまは、阿形・吽形とも、左手に金剛杵(こんごうしょ)を握りしめています。金剛杵はインド神話に出てくる帝釈天の武器で、雷をあやつると言われています。
 金剛とは、ダイヤモンドのように硬いもの、何ものにも打ち砕かれることのないものを指し、仏教では智慧の象徴になっています。仏の智慧は、いかなるものにも打ち砕かれることなく、人びとを救い続けるからです。
 仏教における邪悪なものとは、自分の心のなかに生じる行き過ぎた欲望や、わがままな心です。そのようなものを持ち続けていては、仏さまのくださる功徳を受け取ることができません。
 金剛杵すなわち智慧によって自分の中の邪悪な心を打ち砕き、清らかな心となって仏さまの前に進めば、大いなる功徳をいただくことができます。仁王さまは、自分の心のなかにうごめく邪悪な心を、金剛の智慧によって退治してくれる神さまなのです。
 仁王さまに挨拶して、門をくぐり、そこで振り返りますと、そこにも神さまがいます。といっても、太い格子の中ですので、よく見ないと分かりません。
 阿形の仁王さまの後にいるのは、三面大黒さまです。吽形の仁王さまの後には、三宝荒神さまがいます。この二柱の神々も、高村光雲と米原雲海の作だそうです。
 七福神は、インド由来の大黒天・毘沙門天・弁財天、中国由来の福禄寿・布袋・寿老人、日本由来の恵比寿の七柱の神々ですが、このうちインド由来の三柱の神々が合体して三面大黒となっています。
 正面に真っ黒な顔の大黒天、その左に毘沙門天、右に弁財天の顔があります。強力な神さまが三柱も一緒になっているのですから、さぞかし偉大な力を具えているでありましょう。豊臣秀吉が守護神として持ち歩いた気持ちも、分かるような気がします。
 もうひと柱の三宝荒神は、青黒い肌をした三面六臂の神さまです。もともとは竈(かまど)の神さまで、かつては、家々の台所に小さな神棚が作りつけられ、三宝荒神を描いたお札がおさめられていたものです。
 それにしても、多くの参拝者が、この二柱の神々に気づかずに通り過ぎてしまいます。残念だなあと思ってしまいます。(浪)

 出典:清飲検協会報(令和元年7月号に掲載)