【随筆】−「地蔵菩薩」    浪   宏 友



 善光寺仁王門をくぐると、仲見世通りに入ります。山門に向かって少し歩いたところの左側、松の木の下にお地蔵さんが座っています。お地蔵さんの脇にある立札に、「旧如来堂跡地蔵尊」とあります。
 古くから江戸時代まで、善光寺の本堂は、この場所にありました。当時は如来堂と言いました。
 お地蔵さんが座っているこの場所には、善光寺如来のお厨子を安置した瑠璃壇がありました。お地蔵さんを見上げているこの場所は一般の人びとは入ることのできない瑠璃壇の前でした。
 どういうわけか、この場所にあった本堂は繰り返し火災に見舞われました。江戸時代にも大火に見舞われ、本堂が全焼してしまったのです。
 火災の後、本堂を再建するときに、この場所をあきらめて、現在の場所に本堂を移しました。そして、善光寺如来の尊像が祀られていた此処に、お地蔵さんを建てたのです。
 これほど大事な場所なのですが、ほとんどの参拝者が、このお地蔵さんを見上げることもなく通り過ぎていきます。
   お地蔵さんを拝んで山門に向かいます。仲見世通りを過ぎたあたり、山門の手前に、大きなお地蔵さんが座っています。「濡れ仏」と呼ばれています。
 濡れ仏とは、もともと、露天に建てられた仏像というような意味ですが、善光寺で「濡れ仏」といえば、このお地蔵さんです。
 「濡れ仏」の説明を立て札で読みますと、思いがけない伝説が記されていました。
 江戸時代、恋人に逢いたくて放火をし、火あぶりの刑に処せられた八百屋お七の話は有名ですが、そのお七の霊を慰めるために、相手の吉三郎が建てたと伝えられているのだそうです。実際には、善光寺聖である法誉円信が、全国から喜捨を集めて建てたのだとはっきりしているのですが、伝説が表に立っているのは面白い現象だと思います。
 濡れ仏の右に、六地蔵が並んでいます。
 娑婆世界には、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上という六つの境涯があります。それぞれの境涯の衆生を救おうと、地蔵菩薩が身を六つに分けているのです。
 善光寺の六地蔵は、遠目には、みんな同じように見えますが、近づいてみると、持ち物がそれぞれ違っています。
 左端のお地蔵さんは、天上界担当で、赤子を抱いています。
 次のお地蔵さんは、人間界担当で、左手に宝珠を持ち、右手は施無畏印を結んでいます。
 三番目のお地蔵さんは、修羅界担当で、数珠を持っています。
 四番目のお地蔵さんは畜生界担当で、柄香炉(えごうろ)を持っています。
 右から二番目のお地蔵さんは、餓鬼界担当で、合掌しています。
 一番右のお地蔵さんは、地獄界を担当しています。左手に宝珠を捧げ、右手に錫杖を握り、急いでいるのでしょうか、左足を地面につけて、今にも歩き出しそうです。
 濡れ仏と六地蔵を後にして山門を入り、本堂の右側に出ますと、そこに地蔵堂があります。お堂には木彫りの地蔵菩薩像が収められています。おやこ地蔵です。
 平成23年3月11日、東北地方の太平洋沖で発生した巨大地震と、それによって生じた巨大津波は、東北地方に大きな被害をもたらしました。岩手県陸前高田市の高田松原もこの津波で無くなってしまいました。
 善光寺では、津波で倒された松を用いて、親二体、子二体のおやこ地蔵を作りました。そのうちの親一体子二体は、陸前高田市の普門寺境内に建てられたお堂に収められ、残りの親一体がこの地蔵堂に収められました。
 このお地蔵さんには、被災地の方々をはじめ多くの方々の深い祈りが込められているにちがいありません。(浪)

 出典:清飲検協会報(令和元年8月号に掲載)