【随筆】−「山門」    浪   宏 友


 善光寺仁王門を過ぎると、駒返り橋までの200メートルほどが、仲見世通りです。おみやげ屋さん、仏具屋さん、食べ物屋さん、写真屋さんなどなど、たくさんのお店が並んでいます。
 仲見世通りを過ぎて、駒返り橋を渡りますと、目の前に山門があります。
 「山門」とは、お寺の門という意味です。お寺は山の中に建てられることが多かったことから、何々山に建てられた何々寺と称する習わしができたのだろうと思います。
 山門正面に掲げられている「善光寺」の額は、1801年(享和元年)に、輪王寺宮公澄法親王の筆になるそうです。
 この額は「鳩字の額」と呼ばれています。文字の中に5羽の鳩が隠れているからです。よく見ますと、なるほど「善」の字に2羽、「光」の字に2羽、「寺」の字に1羽、鳩と言われれば鳩の形に見える部分があります。
 JR長野駅、新幹線改札付近に、「鳩字の額」の実物大のレプリカがあります。機会がありましたら見つけてみてください。
 鳩と言えば、善光寺境内の東奥に「鳩ぽっぽの歌碑」があります。作曲は滝廉太郎、作詞は東くめです。東くめさんは、善光寺の鳩を見て、歌詞を作ったのだそうです。
 善光寺には「牛に引かれて善光寺参り」の伝説がありますが、山門の額をじっと見ていると、「善」の字が牛の顔に見えてくるとも言われています。そう言われて眺めていますと、なるほど、そんな気もしてきます。
 善光寺の裏手には、牛の親子の像があります。インドのネール首相から贈られた白い牛が死んだとき、森永乳業株式会社が申し出て建てたのだそうです。
 そういえば、参道の休憩所にも牛が座っていて、参拝者から撫でてもらっています。
 善光寺の山門は二階建てです。本堂側から二階に上がることができます。拝観料を納めて、いくつかの心得を聞いて、二階へ上がる階段に向かいます。この階段が、急峻です。ちょっと、怖いです。しっかりと手すりにつかまり、狭い階段を用心深くよじ登ります。上がり切ると、そこは仏の世界です。
 二階の大きな窓から外を見ますと、仁王門と仲見世が足元に見えます。仁王門の向こうに長野市街が広がっています。
 堂内には、文殊菩薩騎獅像が祀られています。獅子に騎乗した文殊菩薩の像です。文殊菩薩は智慧の菩薩であることから、山門が、「智慧の門」と言われることもあります。
 文殊菩薩の四隅には、四天王が配されています。持国天・増長天・広目天・多聞天です。多聞天が単独で祀られるときには毘沙門天となります。
 長押(なげし)には、四国八十八ヶ所霊場の、札所本尊の分身仏が祀られています。ひとつひとつ拝んでいけば、八十八ヶ所を一巡りすることができます。
 「山門」は、修行者の世界では「三門」と言うようです。「三門」とは「三解脱門」で、三解脱門とは「空門・無相門・無願門」です。こんなふうに言われても、何が何だか分かりません。
 とにかく「空の悟り」「無相の悟り」「無願の悟り」という三つの悟りを得れば、苦悩から解脱(解き放たれ、脱する)できるのだそうです。
 「解脱門」とは、「解脱したければ、この門をくぐって修行しなさい」ということのようです。この門をくぐって、修行して「空・無相・無願」の三つの悟りを得て、解脱しなさいという意味なのだそうですが、どうも、私には、そこまでの覚悟は決められません。
 ともあれ、善光寺の山門をくぐりました。本堂には善光寺如来さまが待っておられます。
 だれかれの分け隔てなく、大慈大悲で迎えてくださり、救ってくださるに違いない善光寺如来さまを信じて、本堂に向かいたいと思います。(浪)

 出典:清飲検協会報(令和元年9月号に掲載)