【随筆】−「無仏世界」      浪   宏 友


 善光寺本堂の内陣と内内陣を隔てる扉の上に、二十五菩薩の像があります。二十五菩薩の左右には、日本百観音を表す観音像が掛かっています。百観音のさらに外側の、舞台で言えば上手側に地蔵菩薩の像が、下手側に弥勒菩薩の像があります。
 弥勒菩薩の像と地蔵菩薩の像は向き合っていますが、これにはわけがあります。そのわけをお話しするには、いったん善光寺の外に出て、仲見世通りに戻り、宿坊のひとつである世尊院にご案内しなければなりません。
 世尊院のご本尊は、釈迦涅槃像です。仏教の祖と言われる釈迦牟尼世尊が、クシナーラーという町の郊外にある沙羅の林で、弟子たちをはじめ多くの人びと、多くの神々、多くの動物たちに見守られながら入滅なさったときのお姿です。
 この涅槃像は、平安時代、越後の居多ケ浜で、漁師の網にかかった大木から出現したという伝説があります。歴史的には、鎌倉時代に作られたものと考えられています。
 仏教では、多くの仏さまを説きますが、歴史上実在した仏さまはお釈迦さまだけです。そのお釈迦さまが涅槃に入りますと、娑婆世界には仏さまが居なくなります。無仏世界となるのです。
 娑婆世界は永遠に無仏世界なのかといえば、そうではありません。56億7千万年後に、弥勒菩薩が弥勒仏となって娑婆世界に出現され、衆生を救ってくださいます。
 今は、弥勒菩薩は、兜率天で修行なさっておられます。世間には、弥勒如来の出現まで待てないと言って、この世の寿命が終わったら兜率天に生まれて、弥勒菩薩に救っていただこうと願う信仰者もいるようです。
 現在の娑婆世界は無仏世界です。衆生は誰からも救ってもらえないわけです。
 ここで、善光寺に戻りたいと思います。
 改めて弥勒菩薩の像を見ますと、頭髪が、仏さまの髪型である螺髪(らほつ)になっています。また、菩薩はたいてい、きらびやかな服装をしているものですが、この弥勒菩薩は、仏さまの着る質素な衲衣(のうえ)です。その姿で、阿弥陀定印を結んで静かに座しておられます。
 そうです。すっかり、如来さまのお姿なのです。娑婆世界に出現なさる準備はすっかり整っているわけです。
 しかし、これで一安心というわけにはいきません。弥勒如来の出現までには、まだまだ間があるからです。この長い期間、衆生は、救いのない世界で苦しみ続けなければならないのです。
 いえいえ、慈悲深い仏さまは、衆生をほったらかしにはなさいません。地蔵菩薩に、無仏の間、娑婆世界で衆生を救うようにとお申し付けになったのです。
 お釈迦さまから地蔵菩薩へ、そして弥勒菩薩へと、救いのリレーがなされるわけで、善光寺の本堂におわす弥勒菩薩と地蔵菩薩は、このことを表しているのです。
 善光寺本堂で、弥勒菩薩と向き合っている地蔵菩薩は、左手に如意宝珠を持ち、右手で錫杖を握り、右足を地面につけて、今まさに立ち上がろうとしています。お釈迦さまから指名を受けた地蔵菩薩が、無仏世界の衆生を救おうと、行動を起こす瞬間を表したものと受け取ることができます。
 善光寺山門前に、六地蔵が並んでいます。六地蔵とは、六道を分担して救うお地蔵さんたちです。
 六道とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上という六つの迷いの世界です。仏さまの顔も知らないような人々が、苦しみぬいている世界です。まさしく無仏の世界です。このような世界の衆生を救い導くのが、お地蔵さんの役割なのです。
 お地蔵さんが、あちらの四つ角にも、こちらの道端にも立っておられるのは、あらゆる衆生を救うためだったのですね。(浪)

 出典:清飲検協会報(令和元年12月号に掲載)