【随筆】−「びんずる尊者」      浪   宏 友


 正月6日、善光寺では、びんずる廻しが行われます。
 びんずる尊者の首から下が、すっぽり白布に包まれます。頭には、注連縄(しめなわ)のはちまきがされ、むこうしばりの角が天に向かって突きあがっています。
 びんずる尊者の台から、長い綱が伸びています。これをみんなで引っぱるのです。
 日没後、本堂前に並んでいた人たちの何十人かが、本堂に入れてもらいます。びんずる尊者の台に結んだ綱を引っ張り、妻戸台を一回りします。引き回しが終わると、福しゃもじをいただきます。参拝者は福しゃもじでびんずる尊者に触って本堂を出ます。
 次いで、次の何十人かが本堂に入ってびんずる尊者を引き回します。これを何回か繰り返します。本堂に入れる人数が限られていますし、引き回す回数も限られていますから、せっかく並んだけれども、引き回しに参加できないまま帰るしかない人も出てきます。
 善光寺の冬の風物詩のひとつです。
 お釈迦さまのお弟子の中でも、際立って優れた修行者が、十大弟子、十六羅漢、五百羅漢などと呼ばれて尊ばれています。このうちの十六羅漢の筆頭がびんずる尊者です。
 びんずる尊者は、あけっぴろげで豪放磊落(ごうほうらいらく)な性格だったようです。
 出家前のびんずる尊者は、もとは裕福でしたが、散財がたたって没落した婆羅門でした。その日の食べ物にも困っていたとき、お釈迦さまのお弟子たちが、人々から尊崇されているのを見ました。自分もお釈迦さまのお弟子になれば、在家から食べ物を供養してもらえると考えて出家したそうです。
 もともと、バラモンとしての修行を重ねてきたびんずる尊者でしたから、お釈迦さまの教えもよく理解し、よく修行して、阿羅漢の境地に達しました。
 ある日、お釈迦さまの高弟で、神通第一と言われる目連尊者と街を歩いていました。
 その途中、ある長者が、栴檀で作った鉢を高いところに置いて、これを取った人に与えると言っているところに出会いました。これを取るには、空中に浮上するしかありません。神通力自慢の修行者たちが、次々と、我こそはと名乗り出て鉢を取ろうと試みますが、いずれも失敗してしまいました。
 これを見たびんずる尊者は、目連尊者に、取ってきなさいよと勧めますが、目連尊者は断ります。すると、びんずる尊者は、自分で神通力を現わして空中に浮かび上がり、鉢を取ってきてしまいました。
 びんずる尊者は精舎に帰ると、お釈迦さまにこの鉢をお渡ししました。どうしたのだと尋ねるお釈迦さまに、ことの次第を申し上げますと、お釈迦さまは、人びとの前で神通力を現わしてはいけないとたしなめ、今すぐに、遠いところに行って、人々を救い導きながら修行を深めなさいと申し渡しました。
 神通力を見た人々が、びんずる尊者の神通力を求めて精舎を訪ねてくるでしょう。それでは修行の妨げになります。真の救いは、神通力で得ることはできないのです。
 お釈迦さまは、びんずる尊者に、長生きしなさい、そして私に代わって多くの人びとを救い導いてくださいと送り出しました。
 びんずる尊者は、お釈迦さまのご指導通り、遠い町に行き、教えを説いて人々を救いましたので、人びとの尊崇を集めました。
 びんずる尊者に関するお経文から、このようないきさつが浮かび上がります。
 中国では、びんずる尊者はお寺の食堂に祀られるようになりました。その風習が日本にも伝わってきたと思われますが、どういうわけか食堂から出て、外陣や回廊に祀られるようになりました。
 さらに自分の病んでいるところと、びんずる尊者の同じところを撫でると、病気が治るという「撫でぼとけ」になりました。そうなったいきさつは分かりません。(浪)

 出典:清飲検協会報(令和2年1月号に掲載)