【随筆】−「閻魔さま」         浪   宏 友


 善光寺本堂の外陣で参拝を済ませて左側の出口に向かいますと、閻魔大王が、かっと眼を見開いて、こちらを睨みつけています。
 私が、子供のころに聞かされた、閻魔さまの話は、おおよそ次のようなものでした。
 人が死ぬと、閻魔さまの前に引き出されて、生前の行いが調べられます。行いが良かった人は極楽へ行くことができます。行いが悪かった人は地獄へ送られます。どちらともつかない人は人間界へ戻されます。
 行いの悪かった人が、そのことを隠そうとしても、閻魔さまには分かってしまいます。強力なアイテムを持っておられるからです。閻魔帳には、これまでに行なってきた悪いことや良いことが残らず記されています。浄玻璃(じょうはり)の鏡には、生前の行いがすべて映し出されます。こうして、嘘はすぐに露見してしまい、大きなヤットコ(釘抜き)で舌を抜かれてしまうのです。「嘘をつくと、エンマさまに、舌を抜かれるよ」などと言われたものです。
 善光寺の閻魔さまは、古代中国のお役人の服装をして、恐ろし気な顔で座っています。
 閻魔大王の両脇には、小さな十王が左右に五人ずつ、階段状に並んでいます。十王も閻魔さまと同じように、冥途の裁判官です。冥途に行くと、多い人は、10回も裁判を受けるわけです。
 死者は、初七日に秦広王(しんこうおう)の前に据えられます。ここで裁きが定まらないと、二七日に初江王(しょこうおう)の前に立たされます。三七日には宋帝王(そうていおう)、四七日には五官王(ごかんおう)へと送られて、五七日に閻魔王の前にかしずくことになります。
 六七日には変成王(へんじょうおう)、七七日には泰山王(たいざんおう)へと送られます。
 こうして送られている間に、遺族が僧侶を招き、追善供養をしてくれますと、罪を軽くしてもらえるのです。
 百箇日には平等王(びょうどうおう)です。さらに、一周忌には都市王(としおう)、三回忌が最後で五道転輪王(ごどうてんりんおう)が待っています。
 この三人の王は、これまでの裁きを緩め、汲むべきところを拾い上げて、死者の行く先をいくらかでも上方に向けようとしてくれます。そこに遺族の篤い追善供養でもあれば、なおのこと裁きを緩めてくれます。情状酌量みたいなものでしょうか。
 閻魔王の思想は、どうやら中国で生まれたようです。もともとは、インドの冥界の王であるヤマから始まったものが、中国で泰山府君と結びついて十王を生み、日本に伝わって成熟したのでありましょう。
 初七日から七七日、百箇日、一周忌、三回忌にそれぞれの王を対応させて追善供養を勧めるという考えやしきたりは、日本で成立したと思われます。
 こうした黄泉の国の、それも恐ろしい神々が、阿弥陀如来を本尊とする善光寺に祀られているのは何故でしょうか。
 実は、十王の本体は、如来さまや菩薩さまなのです。内側に慈しみの心を湛えながら、外側に、恐ろしい表情を見せているのです。
 如来さまや菩薩さまは、人びとを地獄に落としたくないので、なんとか救おうと心を砕きます。それを知らない人びとは、悪事を重ねてしまいます。生前の悪事が重すぎると、自分から地獄へ沈んでいくので、如来さま、菩薩さまでも、救いようがありません。そこで十人もの王の前を通過させて、悔い改める機会を増やしているのです。
 それでも救いきれずに地獄に落ちますと。今度は地蔵菩薩が地獄に出かけて、仏さまの教えを伝え、救いの道へ導き入れようと努力します。
 閻魔さまや十王の恐ろしい顔の裏には、こうした思想が隠されているのです。(浪)

 出典:清飲検協会報(令和2年2月号に掲載)