【随筆】−「伝説」                    浪   宏 友


 善光寺の白蓮坊のホームページに、次のお話が載っています。
 「その昔、下総の国に一匹のむじなが住んでいました。このむじなは、日頃、生き物を殺して生きていかなくてはならない自らの身の上を恥じ、後生を頼むために善光寺にお参りをして灯籠を寄進したいと願っていました。
 ある時、むじなは人の姿に化け、善光寺参りの講中にまじって善光寺へとやってきました。ようやく境内にたどり着き、白蓮坊に宿を定めたところまではよかったのですが、無事到着した安堵からか、お風呂でむじなの姿のまま湯を浴びていたところをみつかって、あわててどこかへ逃げ去りました。
 姿を消したむじなを不憫に思った住職は、その心を知り、かわりに一基の灯籠をたててあげました。 それが今も経蔵北に残る『むじな灯籠』だといわれています」
 近年、白蓮坊の前に、むじな地蔵が建ちました。大きな目をしたかわいいお地蔵さんの脇に、たぬきが数珠を持ち合掌しています。
 こんな言い伝えもあります。
 肥前の国長崎から善光寺へ向かった一家がありました。長い旅路の途中、女房が病気になってしまい、看病の甲斐もなく、帰らぬ人となってしまいました。土地の人のはからいで埋葬も済ませた夫は、二歳になったばかりの赤子をふところに、定まらない足元を踏みしめて、善光寺へ向かいました。
 ようやく善光寺の如来堂(本堂)に入りますと、そこに女房が現れたではありませんか。驚き立ちすくむ夫から赤子を受け取ると、乳を飲ませながら、善光寺如来の前に進み、伏し拝み続けました。
 やがて女房は眠りについた赤子を夫に託すと、そのまま姿を消しました。
 女房は、夫、子供と連れだって、善光寺の参拝を済ませたのでありましょう。
 長崎に帰って子を育てた夫は、善光寺如来の御開帳が長崎で行われたとき、剃髪して出家したのでした。
 善光寺にまつわる伝承としてあまりにも有名なのは、「牛に引かれて善光寺参り」でありましょう。いろいろな言い伝えがありますので、私なりに整理してご紹介いたします。
 長野の小県郡に一人の老婆がいました。働き者でしたが、強欲で、神仏に手を合わせることを知りませんでした。お寺参りなどしている暇はないということなのでしょう。
 ある日、千曲川で白布を晒していました。そこに一頭の牛が現れ、やにわに白布を角にかけて走り出したのです。
 驚いた老婆は、必死に牛の後を追いました。牛は、川を渡り、野を走り、山を越えて行きます。老婆が息が続かなくなってへたり込むと、牛は立ち止まって老婆を振り返ります。老婆が元気を回復して立ち上がると、牛は再び走り出します。
 こんなことを繰り返して、どれくらい走ったでしょうか。息も絶え絶えの老婆が目を上げると、牛がこちらを向いて立っています。最後の力を振り絞って老婆が駆け寄りますとたちまち牛は消えてしまいました。
 その場にへたり込んだ老婆が気が付くと、そこは善光寺の如来堂(本堂)の中だったのです。放心状態の老婆は、そのまま如来堂で一夜を明かしました。その夢枕に、あの牛が現れました。老婆が驚いて駆け寄ろうとすると、牛は消えて観音さまが立っています。観音さまが指し示す方を見ると、そこに善光寺如来さまが、優しいまなざしで老婆を見ていました。
 夢から醒めた老婆は、自分の不信心を悔い改め、真心から善光寺如来に手を合わせるようになりました。強欲ゆえに餓鬼界に堕ちなければならなかった老婆に、極楽への道を開いた物語です。
 善光寺境内の休憩所に入りますと、牛が一頭、台の上にうずくまって、優しいまなざしでこちらを見ていました。(浪)

 出典:清飲検協会報(令和3年1月号に掲載)