【随筆】−「御開帳」                    浪   宏 友


 「秘仏」とは、「公開されない仏像」のことです。厨子に収められ、扉が閉じられ、だれも目にすることができないのです。
 秘仏といっても、御開帳によってお姿を現すことがあります。1年に1回、数年に1回、話によれば、数十年に1回という寺院もあるそうです。
 中に絶対秘仏があります。御開帳はありません。それどころか、住職でさえ御厨子の扉を開けることはできません。善光寺の御本尊は、そういう意味の絶対秘仏です。
 東京の浅草寺でも、御本尊である観音さまが絶対秘仏になっているそうです。御本尊の代わりに前立本尊が建てられますが、これがまた秘仏になっていて、毎年12月13日に、僧侶たちが観音経を読経する間だけ、御厨子の扉が開かれるそうです。
 善光寺にも、前立本尊があります。これまた秘仏です。丑年と未年の春に、50日間ほどの御開帳があります。
 善光寺の御本尊は、当初は秘仏ではなかったようです。平安時代と思われますが、善光寺を参拝した僧侶が、善光寺如来を写生した絵が伝わっています。その後、いきさつは分かりませんが、鎌倉時代頃に秘仏となり、前立本尊が作られたようです。
 善光寺の前立本尊は、一光三尊阿弥陀如来像です。舟形の光背に阿弥陀如来、観世音菩薩、大勢至菩薩の三尊が収まっているので、この名があります。
 阿弥陀如来の右手は施無畏(せむい)印です。恐れを取り除き、安心して暮らせるようにという祈りが込められています。左手は刀(とう)印です。現実にうごめく邪悪なものを克服しようという祈りが込められています。 観音菩薩と勢至菩薩は、二人とも両手の手のひらを上下に重ねる梵篋(ぼんきょう)印を結んでいます。梵篋とは、清浄なる箱という意味になりますから、尊い教えを収めた箱を意味しているのではないでしょうか。
 さきほど申し上げました通り、善光寺の御本尊は絶対秘仏で御開帳はありませんが、前立本尊には御開帳があります。
御開帳には、出開帳と居開帳があります。
 江戸時代には、しきりに出開帳を行っていたようですが、明治時代から、ほとんど居開帳になりました。太平洋戦争の間は中断しましたが、戦争が終わって、昭和24年に、戦後初めての御開帳が行われました。以後、丑年と未年の春に、50日あまり、御開帳が行われるようになりました。
 善光寺では、7年に一度の御開帳と言っています。御開帳を執り行った年を1年目とすれば次の御開帳は7年目にあたるという考えかたで、いわゆる数え年です。外国からの観光客にはこれが理解できないようで、説明するのに四苦八苦しているそうです。
 御開帳には、多くの信仰者が参拝します。通常の年は、年間600万人ぐらいの参拝者だそうですが、御開帳では、2ヶ月弱の間に700万人もの参拝者が訪れるそうです。
 参拝者の中には、物見遊山の人もいるでしょうが、大半は、御開帳目指してわざわざ訪れる信仰者です。各地で講を組んで、大勢で参拝します。
 善光寺の御本尊は、善光寺縁起によれば生身の仏さまですから、現世にご利益をくださいます。しかし、参拝するお姿を見ていますと、家内安全、商売繁盛、無病息災、交通安全というような現世利益を求めて参拝するというよりも、ただただ、善光寺如来さまにお会いしたくて、この日を心待ちしているという方々のほうが多いように感じられます。
 令和3年は丑年ですので、4月から5月にかけて御開帳が執り行われるはずでした。しかし、コロナウイルス感染症が蔓延したため、1年先送りになりました。
 令和4年の春には安心してお詣りできることを、大勢の信仰篤い方々が心から願っていることでしょう。 (浪)
 出典:清飲検協会報(令和3年2月号に掲載)