【随筆】−「回向柱」                    浪   宏 友


 善光寺御開帳の期間中、本堂の前に白木の回向柱(えこうばしら)が建立されます。
 45p角、長さ10mの柱は、重さ3tにもなるそうです。
 善光寺の御本尊、一光三尊阿弥陀如来さまとご縁をつないでいただこうと、はるばる訪れた参拝者たちですが、御開帳の人込みでは御本尊のお姿を拝むことさえ難しく、これでは、とてもご縁をつないでいただくどころではありません。
 しかし、大丈夫です。本堂の前に建てられた回向柱に触れれば、善光寺如来とご縁を結ぶことができるからです。
 回向柱の上の方を見ると、白いひもが結ばれています。ひもは本堂に伸びています。本堂に入ると、白いひもが五色の糸に変わります。そこから瑠璃壇のほうに伸びて、最終的に前立本尊の右手中指から伸びる金の糸と繋がります。つまり、回向柱に触れると、前立本尊の右手中指に触れることができるのです。御本尊とご縁を結ぶことができるのです。
 回向柱の周囲には、小さな垣がめぐらされます。以前、参拝者の中に、回向柱に抱きついて離れない人が少なからずありました。これでは、他の参拝者が回向柱に触れることができません。これを防ぐために工夫を凝らしたようです。
 垣越しに手を伸ばして回向柱に触れるのですが、このとき、ちょっとしたコツがあります。垣の正面から手を思い切り伸ばしますと、やっと届きまます。ところが、回向柱の裏側にまわりますと、楽に手が届きます。そういうふうに垣を作ってあるのです。
 ところで「回向」とは、どういうことでしょうか。辞典などでは、「自分が積んだ善根功徳を、人びとのためにふりむけること」とあります。
 善根功徳を積んだ人は幸せになります。思いやりの深い人は、ほかの人々にも幸せになってもらいたいという気持ちから、自分が積んだ善根功徳を、人びとのためにふり向けてくださいと、仏さまにお願いするのです。これが回向です。
 では「回向柱」の「回向」は、誰から誰への回向なのでしょうか。実は、阿弥陀如来から人びとへの回向なのです。
 むかし、世自在王仏(せじざいおうぶつ)のもとで出家した法蔵菩薩は、48の願を立て、長い間修行を続け、善根功徳を積んで阿弥陀如来となられました。阿弥陀如来となられてからも、人びとを救い続け、善根功徳を積み続けておられます。阿弥陀如来の善根功徳には限りがありません。そのすべてを人びとに回向しているのです。
 善光寺御開帳における回向柱は、阿弥陀如来の功徳を人びとに回向するためのものであり、信仰の篤い人びとが、阿弥陀如来の慈悲の回向をありがたくお受けするためのものであると、私は解釈しています。
 回向柱は、長野市松代の善光寺回向柱寄進建立会が奉納しています。
 徳川家光の時代、善光寺は大火に見舞われ本堂が焼失しました。徳川家綱のとき、松代藩は幕府から善光寺本堂の普請を命じられ、1707年に竣工しました。
 この縁によって、回向柱は、松代藩が寄進する習わしとなったそうです。
 善光寺回向柱寄進建立会は、御開帳が近づきますと、善光寺に、回向柱を奉納させていただきたいと申し出ます。善光寺はこれを受け入れます。
 回向柱寄進建立会は、回向柱に相応しい木を選び、日を定めて斧入れ式を執り行います。この後、伐採して製材し、御開帳の直前に牛に引かせて善光寺に届けます。
 善光寺では、正面に「奉開龕前立本尊」と書き、他の面にもそれぞれ文字を入れ、厳かに建立します。そして、御開帳の前日に、善光寺住職によって開眼が行われ、多くの人びとの参拝を待つばかりとなるのです。(浪)
 出典:清飲検協会報(令和3年3月号に掲載)