【随筆】−「サルゴン王」                    浪   宏 友


 現在のイラクの中央部あたりの地域を、メソポタミアと言います。「メソポタミア」とは「二つの河川の間の場所」という意味で、チグリス河とユーフラテス河の間の地域を指しています。二つの河は河口近くで合流して、ペルシャ湾に流れ込みます。
 チグリス河とユーフラテス河の間は広大な沖積平野になっていて、今から一万年ほど以前から、麦などの農耕栽培や、牛や羊の飼育が行われていたそうです。二つの大河の間にある土地ですから、しばしば大きな洪水に見舞われましたが、そのたびに人々は立ち上がってきました。
 このような中で人と人とのつながりが深まり、やがて都市国家が生まれました。都市国家の間で、盛んに交易が行なわれ、その過程で、物を管理し記録する必要が生じたことから、文字が生み出されました。小さな粘土板にペンで引っかいて書いたものが、都市国家ウルクの遺跡から発見されましたが、これが世界最初の文書だそうです。
 古代メソポタミアの都市国家では、国の中央に神殿が設けられ、神が祀られ、祭りが行われていました。神を中心にして、政治や生活が営まれたのでありましょう。
 都市国家の間には、しばしば争いが生じました。戦争に勝った都市の指導者は、敗れた都市を支配しました。戦争に強い武将は、こうして次々に支配する範囲を広げました。さらにこうした支配者たちが戦って、勝ったほうが支配する範囲を広げるということが繰り返されました。
 こうした時代が長く続いていましたが、サルゴンという武将が現れて、メソポタミア全体を掌握し、初めて統一国家が生まれました。ペルシャ湾からメソポタミア中央に到る地域を支配し、後には、ペルシャ湾から地中海にいたる広大な地域を支配したとありますから、そうとう強力な王だったと思われます。
 サルゴン王の出生について、興味深い神話が伝えられています。
 ある都市国家の神殿の奥で、一人の巫女が神に仕えておりました。まごころこめて給仕する巫女を愛おしく思った神が、ある日、巫女の前に現れて、契りを交わしました。巫女は神の子を宿しました。
 巫女は悩みました。男性のいない神殿の奥で神に仕える巫女が子を宿すなど、人に知れたら何を言われるか分かりません。神の子であると説明したところで、信じてもらえるはずがありません。困り果てた巫女は、一人で密かに出産し、その子を篭に入れてユーフラテス河に流しました。篭は、下流の都市国家キシュのあたりで岸辺に流れ着きました。
 ちょうど通りかかった、キシュ王に仕える庭師が、赤子の泣き声に気づきました。泣き声に導かれて河に降りていきますと、篭が岸辺で揺らいでいます。泣き声はその中から聞こえてくるようです。覗いてみますと生まれたばかりの男の子が泣いているではありませんか。驚いた庭師は、赤ん坊を拾い上げて、家に連れて帰りました。
 庭師の息子として育てれらた赤ん坊は、やがて元気な少年となり、庭師の手伝いをするようになりました。庭園ではたらいている少年が、キシュ王ウル・ザババの目に留まりました。王は少年を宮殿に入れて、王の酌を務めさせました。
 メソポタミアの女神イナンナは、美しい少年に早くから心惹かれていました。ある夜、少年の夢に現れたイナンナ女神は少年に耳打ちしました。キシュ王ウル・ザババが溺死する、と。これを知ったウル・ザババは、少年を亡き者にしようとしましたが、かえって自分を滅ぼすこととなってしまいました。
 少年は、イナンナ女神に護られて、都市国家アッカドを建設し、王となりました。この少年が、サルゴンです。
 神に愛されたサルゴンは、やがてメソポタミアを統一し大王となったのです。(浪)