【随筆】−「イナンナの冥界下り」                 浪   宏 友


 メソポタミア神話における金星の女神イナンナは、豊穣神であり、愛欲の神であり、戦争の神でもあります。
 イナンナは、イシュタルとも呼ばれ、ギリシャ神話のアフロディーテー、ローマ神話のヴィーナスのモデルとも言われています。
 あるとき、イナンナは、冥界に降りていく決心をしました。理由は分かりません。
 イナンナは貴婦人用の長衣を身に着け、由緒ある王冠をかぶり、ラピスラズリ(瑠璃)の首飾りをつけ、黄金の腕輪をはめました。
 イナンナは、小間使いの女神ニンシュブルに言いました。
 「私はこれから冥界に下っていきます。私が冥界に着いたころに、神々を訪ねて、私が冥界でひどい目に合わないように助けをもとめなさい」
 イナンナは、冥界の入り口に立ち、冥界の門番ネティに呼びかけました。
 「門をあけよ、門番よ、門をあけよ」
 門番ネティは、天界の女神イナンナを見て驚きました。あわてて、冥界の女王エレシュキガルのもとにかけつけ、報告しました。エレシュキガルは、イナンナの姉で、二人の仲は良くありませんでした。
 エレシュキガルは腹を立てましたが、承知しました。ただ、門を一つ通るたびに、イナンナが身につけているものをひとつひとつ取り上げなさいと命じました。
 一つ目の門が開かれ、イナンナが通ると、王冠が持ち去られました。
 二つ目の門では杖が持ち去られました。
 三つ目の門ではラピスラズリの首飾りが、四つ目の門ではペンダントが、五つ目の門では黄金の首飾りが、六つ目の門では胸飾りが持ち去られました。
 七つ目の門が開かれ、イナンナが通ると、衣服が持ち去られました。
 こうしてすはだかにされたイナンナは、冥界の女王でありイナンナの姉のエレシュキガルの前に連れていかれました。姉は妹を冷ややかに見下ろし、死の判決を言い渡します。イナンナの魂は飛び去り、体はぼろ布のように崩れました。イナンナの死体は、宮殿の壁に吊り下げられました。
 そのころ、イナンナの小間使いの女神ニンシュブルは、救いを求めて神々を訪ね歩いていました。しかし、どこにも、助けてくれる神はいません。歩き歩いて地と水の神エンキを訪ねて訴えますと、ようやく、私が何とかしようとうなずいてくれました。
 エンキ神は二人の人物をつくり、“命の食べ物”と“命の水”を持たせ、策を授けて送り出しました。
 二人は病に伏している冥界の女王エレシュキガルを訪ねて、病気を治してあげました。エレシュキガルは喜び、お礼に川の水を上げようと言いましたが、二人は断りました。それでは大麦を上げようと言いましたが、これも断りました。そして、壁にかけられているイナンナの死体を求めました。
 イナンナの死体を受け取った二人が“命の食べ物”と“命の水”を振りかけますと、イナンナがよみがえり、立ち上がりました。
 イナンナが冥界から立ち去ろうとしますと、冥界の神々が、お前が地上に戻るのなら、代わりの者を連れてこいと言い、精霊のガルラたちが、イナンナについてきました。
 地上に出ますと、小間使いの女神ニンシュブルが待っていました。ガルラたちは、ニンシュブルを連れて行こうとします。イナンナがそれを止めました。ガルラたちは、イナンナが会う者を片っ端から連れていこうとし、イナンナがそれを押しとどめます。
 イナンナが夫である牧神ドゥムジのもとへ行きますと、喪服もつけずに酒に明け暮れ、女たちと笑い戯れています。怒りがこみ上げたイナンナが、あいつを連れていけと怒鳴りますと、ガルラたちは、ドゥムジをつかまえて冥界へ引きずっていきました。(浪)