【随筆】−「アダパ」                     浪   宏 友


 メソポタミアの南端にエリドゥという都城があります。ここの神殿には、智慧の神エアが祀られていました。
 エア神は、一人の人間をつくり、アダパと名付け、自分の息子としました。アダパは、エア神のために実によく働きました。
 アダパは毎日のように帆かけ船を操って海にでかけ、たくさんの魚を得て、エア神に捧げました。エア神は、アダパがかわいくてなりません。アダパも、エア神が喜んでくれるので、いつも精一杯頑張っていました。
 ある日のこと、この日もアダパは帆掛け船に乗って漁をしていました。そこに暴れ者の南風が、鳥の姿をしてやってきて、激しく吹き荒れました。アダパは必死に舟を操りましたが、大波を受けて転覆し、アダパは海に投げ出され、深く沈んでしまいました。
 ようやく浮かび上がったアダパが空を見上げますと、鳥の姿をした南風が暴れていました。アダパは、南風を睨みつけながら、心の中で、お前の翼なんか折れてしまえと呪いました。すると、本当に南風の翼が折れてしまったのです。ようやく風が静まったので、アダパは港に帰ることができました。
 南風が吹かなくなったのに気づいた天神アヌは、お側の者に、南風が吹かなくなってからもう七日になる、どうしたわけかと、訪ねました。
 お側の者は早速調べて、エア神の息子である人間アダパが、南風の翼を折ってしまったのですと報告しました。
 これを聞いて、アヌ神は腹を立てました。そして、アダパを呼べと、申し付けました。
 智慧の神エアは、天神アヌが、アダパに対して腹を立てていると聞き、アダパを呼び、事情を聞きました。そして、アダパにアドバイスしました。
 「アヌ神に呼ばれたら、なにごともあったままを話しなさい。言い逃れをしようなどと考えてはいけない」
 そして、
 「アヌ神は、お前に死のパンを出すかもしれないが、食べてはいけない。死の水を出すかもしれないが、飲んではいけない。死の衣服をくれるかもしれないが、着てはいけない。死の油をくれるかもしれないが、それを体に塗ってはいけない」
 と、くれぐれも注意しました。
 しばらくすると、アヌ神の使者が、アダパを迎えにきました。
 アヌ神の前にひざまずくアダパに、アヌ神は問いました。
 「アダパよ、おまえは、なぜ南風の翼を折ったのだ」
 「神よ、私は父神エアのために海に舟を出し魚をとっていました。そこに南風がやってきて、舟を転覆させ、私を海に放り出しました。ずいぶん深くまで沈みましたが、ようやく浮き上がって海面に出ますと、南風がまだ暴れていました。私は心の中で、お前の翼なんか折れてしまえと呪いました。すると、本当に南風の翼が折れてしまったのです」
 アダパの弁明を聞くうちに、天神アヌは、この男は素晴らしいと思い始めました。そして、神の列に加えてやろうと考えました。
 天神アヌは、命の食べ物を持ってこさせてアダパに勧めました。これを食べれば、神の列に加われるのです。しかし、アダパは食べませんでした。
 命の水を勧めましたが、飲みませんでした。
 神々の衣服を与えましたが、断りました。
 神々の香油を勧めましたが、辞退しました。
 アヌ神は、神の列に加わろうとしないアダパを不思議に思いましたが、そのまま返してやりました。後で、エア神の言葉を守ったことを知りました。
 エア神は、自分の言葉を忠実に守ったために、折角の機会を失ったアダパをあわれに思い、エア神の都市であるエリドゥで、賢者の筆頭にしてあげました。(浪)