【随筆】−「イシュタルの求婚」                     浪   宏 友


 都城ウルクには、二つの神殿がありました。一つは天神アヌの神殿、もう一つはその娘である金星の女神イシュタルの神殿です。
 ウルクの王ギルガメシュが、親友マルドゥークとともに、杉の森の怪物フンババを倒したという話は、イシュタル女神の神殿にも届きました。イシュタル女神は、人びとの歓呼の中を凱旋するギルガメシュを見て、愛おしくなりました。
 イシュタル女神は、宮殿に落ち着いたギルガメシュの前に立って言いました。
 「ギルガメシュよ、私の夫になりなさい。私はあなたにラピスラズリ(瑠璃)と黄金で飾った二輪車をあげましょう。ヤギや羊、立派な馬や牛をあげましょう」
 しかし、ギルガメシュは断りました。
 女神である自分の求婚が断られたことに、イシュタル女神は驚き、怒りを覚えました。
 「私の求婚が受けられないというのか」と詰め寄るイシュタル女神に、ギルガメシュは言いました。
 「あなたの愛は、長く続いたことがありましょうか。
 あなたが愛したタンムーズは、冥界で苦しみ嘆いているではありませんか。
 あなたは、まだら模様のある羊飼鳥を愛したことがありましたが、のちにはその翼を引き裂いてしまいましたね。
 あなたは戦いで目覚ましい働きをした牡馬を愛したことがあったけれど、のちには鞭でたたいて泥水を飲ませました。
 あなたは牧人を愛したけれど、最後はオオカミに変えてしまいました。
 あなたは父上の庭番イシュラムに愛を告げたけれど、断られると、彼を打ちたたき、モグラに変えてしまったでしょう。
 あなたは私に愛を告げてくれたけれど、それを受ければ、私には彼らと同じ運命が待っているにちがいない」
 これを聞いたイシュタル女神は烈火のように怒りました。そして、父である天神アヌのもとに行くと、ギルガメシュが私を辱めたと訴えました。
 父神アヌは、それはお前がおろかなことをたびたびやったからではないかとたしなめました。この言葉にさらに怒りをつのらせたイシュタル女神は、父神アヌに天の牛を求めました。娘神イシュタルの剣幕に、父神アヌはやむなく夜空から牡牛座を引き下ろしました。
 巨大な体に、巨大な角を持ち、皮膚は鋼のように固い、荒々しい牡牛でした。
 都城ウルクの郊外をエンキドゥと歩くギルガメシュめがけて、イシュタル女神は牡牛を放ちました。牡牛はまっしぐらに突進します。突然の襲撃に体を交わす間もなく、渾身の力で牛の突進を止め、両手で角を掴みました。そのまましばらくもみ合いが続きましたが、ついにギルガメシュが牡牛を引き倒し、エンキドゥが剣を抜いてとどめを刺しました。
 イシュタル女神はさらに怒り狂い、呪いの言葉をギルガメシュに投げつけて立ち去りました。天の牛は、夜空に帰っていきました。
 その夜、エンキドゥが突然飛び起きました。そしてギルガメシュを起こして言いました。
 「私は夢を見た。アヌ神、エンリル神、エア神、シャマシュ神が会議を開いていて、こんな声が聞こえた。
 “彼らは杉の森を荒らし、フンババを殺した。その上、天の牛まで殺してしまった。どちらかが死なねばならない”“エンキドゥが死ぬべきだ、ギルガメシュは、死んではならない”」
 これを聞いてギルガメシュは、滝のような涙を流し、声を上げて泣きました。しかし、神が決めたことが覆るわけもありません。
 この日からエンキドゥは床に就き、日に日に弱っていきました。そして12日目に息を引き取りました。ギルガメシュは、エンキドゥを、立派な棺に納め、あらん限りの供え物をして篤く葬りました。(浪)