【随筆】−「白子屋お熊」                   浪   宏 友


 江戸新材木町に、白子屋という材木を商う大店がありました。当主の庄三郎は入り婿の60歳、家内のお常は40歳でした。二人の間には、お熊という一人娘がおりました。
 お常はわがままで、派手好きで、贅沢でした。その上20歳も離れた庄三郎を嫌い、髪結いの清三郎と懇ろになっていました。こんな母親のもとで育ったお熊も、わがままで、派手好きで、遊び好きでした。庄三郎は、当主でありながら、こんな妻子に文句ひとつ言えず、商売に打ち込んでいるばかりでした。
 白子屋には、忠八という番頭がいました。忠八はお常のお気に入りで、お常たちが白子屋の奥座敷で昼間から酒肴を取り寄せ、宴会をやるときは、忠八が、その世話を一手に引き受けていました。そのうち、忠八はお熊と好き合い、深い仲となりました。
 白子屋は、庄三郎の努力にもかかわらず、次第に衰えました。近所の加賀屋が、これを心配して、町内の地主に相談し、地主のもとで長く働いている又七を、白子屋のお熊のもとに五百両の持参金を持たせて婿入りさせることにしました。お熊は、実直な又七を嫌いましたが、説得されて承知しました。
 祝言を済ませた夜、お熊は又七に背中を向け、癪が起こったといって部屋を出てしまい、その足で忠八のところに行きました。それ以来、お熊は又七に寄り付きませんでした。
 店のほうは、又七の持参金と、庄三郎、又七の働きのおかげでなんとか商売を続けていましたが綱渡りの状況です。そんななかでも、お常、お熊は、それぞれの情夫と共に、物見遊山を続けていました。
 いつしか、お常、お熊、清三郎、忠八は、又七を追い出す相談を始めていました。しかし、離縁すれば、持参金を返さなければなりません。いっそ殺してしまおうということになりました。ところが、その相談を、たまたま、下男の長助が耳にしてしまったのです。
 長助は、前々から、お常たち四人を憎み、又七を気の毒に思っていました。長助は、そっと、又七に四人の悪だくみを伝えました。
 案の定、お熊が、その日の夕食のヒラメの切り身に、なにやら粉を振りかけました。遊び仲間の鍼医の玄柳に調合してもらった毒薬でした。長助と目を合わせた又七は、ヒラメを口に入れませんでした。
 又七は、仲人の加賀屋に相談に行きました。加賀屋は、白子屋の庄三郎とお常を呼んで、夫婦は隠居し、婿の又七に世帯を譲り、忠八を解雇するように勧めました。庄三郎は同意しましたが、お常は渋りきっていました。
 店に帰ったお常は、お熊たちを集めて相談し、下働きのお菊を呼びました。金をやるから、又七の寝所に忍び込み床に入れと持ちかけました。いかに堅物の又七でも、若い女が床に入ってくれば、間違いを犯すだろうという魂胆でした。もともとふしだらなお菊ですから、お金欲しさに承知しました。
 その夜、お菊は又七の寝所に忍び入り、床に入ろうとしますと、飛び起きた又七が、お菊を部屋から追い出してしまいました。
 四人は、今度は、お菊に剃刀を持たせて、又七を傷つけるように言いました。心中を失敗したように見せかけようというのです。お菊は渋っていましたが、お常たちが積み増したお金に眼がくらんで、承知しました。
 その夜、剃刀を持ったお菊が又七の寝所に忍び込み、剃刀を振り回しながら「心中してくれ」と騒ぎ立てました。白子屋は大騒ぎとなり、加賀屋もかけつけました。
 お熊は、お菊と深い中になっていた又七を離縁したいと、南町奉行所に訴えました。
 大岡越前守の指揮で審理が進められ、お常、お熊たちの悪だくみが明らかになりました。
 悪だくみに加わった者は、それぞれ処罰され、なかでもお熊、忠八は獄門となりました。
 白子屋の主人庄三郎が、監督不行き届きで、江戸お構いとなったのは、ちょっと、気の毒な気がしないでもありません。(浪)