【随筆】−「津の国屋お菊」               浪   宏 友


津の国屋松右衛門は小間物を商っていました。妻のお八重との間に、長男の松吉と妹のお粂がいました。
 津の国屋には、わけあって引き取ったお菊という娘がいましたが、もくもくと店を手伝う姿が気に入り、息子の松吉の嫁に迎えました。松吉の妹お粂も、浅草田原町の花房屋弥吉に縁づきました。
 そんななか、松右衛門が商売の失敗から床につき、看病の甲斐もなく、他界しました。頑張っていた松吉も、風邪がもとで寝込んでしまい、あっけなく世を去ってしまいました。
 あとに残された松右衛門の妻お八重と、松吉の嫁お菊は、どうすることもできません。嫁いだお粂に救いを求めましたが、そんなゆとりはないと断られてしまいました。
 店も、家財道具もすっかり人手に渡り、お八重とお菊は浅草諏訪町の裏長屋に身をひそめ、賃仕事をして暮らしていました。そんな中、お八重は持病が重くなりました。お菊が工面して、医者を呼び、薬をもらい、看病に明け暮れますが、一向に快方に向かいません。
 お菊は、お八重の実の娘であるお粂に知らせました。渋々やってきたお粂は、母のお八重に、うっとうしそうに声をかけ、そそくさと帰ってしまい、それっきりになりました。
 その翌年の暮れ、お八重、お菊は困窮し、年越しも出来そうにない状態に陥りました。お菊は、もう一度お粂に頼みに行こうと思い立ち、お八重が眠っているのを見はからってお粂の店に急ぎました。
 ようやく現れたお粂に事情を話し、お金を用立てて欲しいと頼みますが、お粂は断ります。お菊は、それが実の母親に対する態度ですかと、怒鳴らずにはいられませんでした。
 そのころ、お八重は眼を覚まし、お菊を探しましたが見当たりません。日頃から、お菊に申し訳なく思っていたお八重は、細いひもを見つけると、柱の根に布団を積み重ね、その上に這い上がって、柱の上のほうにひもを縛り付け、そのひもを首に巻いて、積み重ねた布団から転げ落ち、息絶えてしまいました。
 長屋に帰ってきたお菊は、冷たくなったお八重を見つけて、大声で叫び、泣きだしました。この声に駆けつけた長屋の家主は、若い者をお粂のもとに走らせました。
 お粂は夫の弥吉とともに、長屋に駆け付け、この惨状を見ました。そして、これはお菊が殺して首吊りに見せかけたのだと、声を張り上げました。夫の弥吉は、それにちがいない、お奉行所に訴えなければとわめきます。これを聞いた長屋の家主は、このまま黙っているわけにもいかず、奉行所に届けました。
 翌朝、お粂・弥吉の夫婦と長屋の家主が白州に控え、お菊が腰縄をつけられて引き出されました。
 一同の前に、大岡越前守が出座しました。
 越前が、お粂・弥吉に問いますと、お菊が自分で殺しておいて首吊りに見せかけたと主張します。越前が証拠を求めると、足腰立たなくなった母が自分で首を吊れるわけがありませんと申し上げます。
 越前はお菊に、お前は姑を殺したのかと問いますと、お菊は、なんで私に義母を殺すなんてできるでしょうかと涙ながらに訴えます。
 越前は、お粂・弥吉に、母を見舞ったのはいつだと問いますと、お粂は昨年の春と答え、弥吉は訪ねたことがありませんと答えます。
 越前は、昨年の春に会っただけで、現在の状態が分かるわけがなかろうと問い詰めますと夫婦は沈黙してしまいました。
 奉行所の調べで、八重は自殺であると分かっておると告げた越前は、お菊の腰縄を解き、長屋の家主に引き取らせました。
 お粂・弥吉は、無実の者に人殺しの罪をかぶせようとしたのは不届きと重過料を課し、お菊には、義母に対する長年の孝行を褒めて銀五枚を授けました。これは、7両にもなっていた借金を全額返済し、新たな生活を始めるのにちょうどよい額でした。(浪)