【随筆】−「セトの悪だくみ」                  浪   宏 友


 エジプトの始まりは、水でした。水の神はヌンでした。これを原初の水と言います。
 水の神ヌンに、意志の力で創造の神アトゥムが生まれました。アトゥムは、水面に原初の丘を作り、降り立ちました。
 アトゥムは、二柱の神を産みました。大気の神シュウと、湿気の女神テフネトです。
 シュウとテフネトは結婚して、男神と女神を産みました。大地の神ゲブと天空の女神ヌトです。
 ゲブとヌトは、夫婦となり、深く愛し合いました。ゲブ(大地)とヌト(天空)がぴったり抱き合ったものですから、間に誰も入れません。これを見た父親のシュウ(大気)は二人の間に割って入りました。大地と天空が引き離され、間に大気が満ちました。
 ヌトとゲブは、4柱の神を生みました。男神オシリス、女神イシス、男神セト、女神ネフティスです。
 創造の神アトゥム、大気の神シュウ、湿気の女神テフネト、大地の神ゲブ、天空の女神ヌト、そして4柱の兄弟姉妹のオシリス神・イシス女神・セト神・ネフティス女神。この神々をヘリオポリスの九柱神と言います。
 オシリスは、妹イシスを妻とし、セトは、やはり妹のネフティスを妻としました。
 長兄のオシリスが、エジプト全土を統治する王となりました。神が王であり、王は神なのでした。
 オシリスは、エジプト王になるとすぐに、エジプトの人々のために働きました。
 オシリスは、武力を用いることなく、高貴な徳と、説得力のある言葉の力で人々の心を導きました。
 オシリスは、エジプト全土を巡って、人々の生活を向上させましたから、国民から感謝され、慕われました。
 オシリスの妻イシスは、夫の留守中、自分が代わって宮廷を治めました。互いに信頼しあっていましたから、なにごとも、滞りなく進めることができました。
 面白くないのが、弟のセトです。もともと荒々しい性格の持ち主で、自分が王にならなかったことが不満でたまりません。
 セトは、仲間たちと相談して、悪だくみをしました。ひそかに、オシリスの体の寸法をはかり、その寸法にぴったり合った、豪華な箱を作ったのです。
 ある夜、宮廷で宴が始まった時、セトは宴席に箱を持ち込んできました。
 集まっていた神々が、その箱の美しさ、豪華さに目を見張り、褒めたたえました。
 セトは、どなたでも、この箱に入ってぴったり収まったら、この箱を進呈しますと、冗談めかして言いました。
 それではというので、つぎつぎと箱に入りましたが、体が小さくて隙間ができたり、大きすぎてはみ出したりで、だれもぴったりとは収まりません。
 セトは、兄のオシリスを振り返り、兄さんもどうですかと誘いました。私はいいよと手を振っていましたが、周りからも薦められたので、入ってみることにしました。
 オシリスが箱の中に身を横たえますと、ぴったりと収まりました。セトが合図をすると、黒い影が押し寄せて、箱のふたを閉じ、外からボルトを打ち込み、熱く溶かした鉛をその上から注ぎました。
 驚いたイシスが走り寄りましたが、セトに激しく突き飛ばされました。
 黒い影は、箱を担ぐと走り出し、ナイル川に向かいました。そして、ナイル川の奔流に箱を投げ込んでしまったのです。箱はたちまち流れ下り、デルタ地帯の川筋を通って、地中海に流れ出し、波間に漂い、やがて夜の闇に見えなくなりました。
 イシスは、海岸から大声で呼びましたが、声は闇に吸い込まれるばかりでした。
 イシスは、夫を救い出すために船を求め、地中海に漕ぎ出すのでした。(浪)