【随筆】−「イシスとラー」                  浪   宏 友


   オシリスは、弟セトの悪だくみにあって、体を14に切り分けられエジプト中に捨てられてしまいました。
 オシリスの妹で妻であるイシスは、エジプト中を歩いて、夫の体を集めましたが、ひとつだけ、ナイル川の魚に呑み込まれてしまいました。
 集めた体を繋ぎ合わせようと苦心しているところに、冥界の神アヌビスが麻布を持って駆けつけてくれました。アヌビスは、麻布を巻きつけながら、オシリスの体を手順良くつなぎ合わせました。
 オシリスの体は、一か所を除いて元通りになりましたので、イシスは蘇りの魔術をほどこしました。しかし、蘇りません。これを見ていた知恵の神トトが、これは、太陽神ラーの真(まこと)の名を使うしかないとイシスに教えました。
 神々は、真の名を明かしません。真の名を知った者に、コントロールされる恐れがあるからです。
 イシスは思いました。ラーの真の名を聞き出すのは難しい。けれども、聞き出さなければ、夫オシリスを蘇らせることができない。何としても、聞き出さなければならない。
 イシスは、ラーのもとに行きました。ラーは、オシリスとイシスにとって、曾祖父にあたります。曽孫が窮地に陥っているのです。なんとか救ってほしいと懇願しました。
 ラーは、名を教えました。喜んだイシスが、その名を持ち帰って、オシリスに蘇りの呪術をかけました。しかし、蘇りませんでした。
 イシスは、ラーに、本当の名を教えなさいと迫りました。ラーは、別の名を教えました。しかし、この名も役に立ちませんでした。
 イシスは、怒りに燃えてラーに食って掛かりました。激しい剣幕にたじたじとなりながらも、ラーは言いました。真の名は、たとえお前たちでも教えるわけにはいかない、と。
 それでもイシスは、引き下がりません。今こそ、奥の手を使おうと決心しました。
 かつて、ラーが流した涎(よだれ)が地に落ちたことがありました。そのとき、イシスは、涎でぬれた土を持ち帰っていたのです。その土をこねて一匹のコブラを作りました。
 ラーは、イシスに激しく迫られて、思わず顔をそむけました。そのとき、イシスは、ラーの衣にコブラを投げ込みました。コブラは驚いて、ラーに噛みつきます。ラーは、あまりの痛さに飛び上がりました。
 イシスは傲然と言いました。さあ、真の名を教えなさい。教えれば、毒消しの呪術をかけてあげる。
 それでも教えようとしないラーに。イシスは重ねて言いました。このコブラは、あなたの涎で作ったものです。私が、呪術をかけない限り、毒は消えません。
 ラーは、それでも渋り続けましたが、痛みは増すばかりです。あまりの痛さに耐えきれず、真の名を教えるから、毒を消してくれと頼みます。イシスは、教えてくれたら消しますと睨みつけます。ラーは、分かった分かった、お前だけに教えるから耳をかせと、イシスを呼び寄せ、真の名を耳打ちしました。
 イシスはうなずくと、ラーに呪術をかけて、コブラの毒を消してあげました。
 やっと痛みから解放されたラーは、イシスに、真の名をむやみに使うなよと頼みます。イシスは、オシリスの蘇生に使うだけですと言い置いて、立ち去りました。
 イシスは、大急ぎでオシリスのもとに戻りました。知恵の神トトや、冥界の神アヌビスたちの前で、ラーの真の名を使って、蘇生の呪術を行ないますと、オシリスが眼を開き、ゆっくりと起き上がりました。
 イシスは、オシリスに縋りつき、ようやく安心したのでした。
 このあと、オシリスは、エジプトの王に戻ることをやめて、西の方、冥府に入り、冥界の王となりました。(浪)