【随筆】−「秩序の女神マアト」                浪   宏 友


   マアトは、ダチョウの羽根を髪飾りにした美しい女神です。太陽神ラーの娘で、宇宙の根源的な秩序を擬人化した神です。マアトは、正しい人々から慕われ、悪事を行なう者からは恐れられていました。
 マアトが、神々の中でも、もっとも嫌っていたのがセトでした。無作法で、乱暴で、身勝手なことばかりやっていたからです。ところが、マアトの父であるラーは、セトをことのほか愛でていました。
 太陽神ラーは、太陽の船に乗って、大空を進んでいきます。朝、東の地平線から登り、天のいただきを過ぎると、夕方、西の地平線に降りて行きます。そこで船を乗り換えて、夜の国を西から東へ進みます。このとき、闇の象徴である大蛇アポピスが、太陽の船を襲うのです。太陽神ラーが定めた宇宙の秩序を破壊して、混沌の闇に引きずり込もうと暴れまわるのです。
 ラーと共に太陽の船に同乗する神々は、闇の蛇アポピスと闘います。長い胴体をくねらせながら襲ってくるアポピスは、厄介な相手で、苦戦を強いられます。
 そんなとき、セトが現われてアポピスと闘い、得意の暴風を駆使して、追い払ってくれるのです。太陽神ラーにとって、こんなに頼りになる用心棒は、またと居ません。
 ラーの娘で秩序の女神であるマアトも、夜を行く太陽の船に同乗したことがあります。そのときも闇の蛇アポピスに襲われました。アポピスは、太陽の船にマアトが乗船しているのを見ると、攻撃の矛先をマアトに定め、防いでも、防いでも、執拗に襲ってきます。大きな口を開けて襲ってくるアポピスには、マアトも恐怖を覚えました。
 そこへ現われたのがセトです。セトはアポピスに掴みかかり、取っ組み合いをして締め上げますので、さすがのアポピスも、苦しがって逃げてしまいました。  マアトは、セトの威力を目の当たりにしましたが、それでも好きにはなれませんでした。
 そのころ、エジプトは、セトの兄であるオシリスが王となって治めていました。オシリスの妹であり妻であるイシスが、オシリスをかいがいしく助けていました。人々から慕われ、敬われているオシリスとイシスを、マアトは、好もしく見ていました。
 ところが、ある日、突然、オシリスの姿が見えなくなりました。オシリスの妻イシスが、必死に夫オシリス神を探していました。そして、地中海の対岸まで旅して、大きな箱を持ち帰りました。これを知ったセトが、箱に入っていたオシリスの体をばらばらに切り裂いて、エジプト中にまき散らしました。
 話を聞いたマアトに、怒りがこみ上げてきました。
 イシスは、エジプト中を探してオシリスの身体を集め、冥界の神アヌビスの手を借りてつなぎ合わせ、呪術を用いて蘇生させました。
 この知らせに喜んだマアトは、オシリスが再びエジプトの王に戻り、秩序ある政治を行なうものと期待しました。オシリスが居なくなってから、セトが勝手にエジプトの王を名乗り、好き勝手をやっている姿を、マアトは苦虫を噛みつぶす思いで見ていたからです。
 そこへ、またまた知らせが入りました。オシリスは、エジプト王には戻らず、冥界の王になるというのです。
 マアトは、がっかりしました。セトによって治められる秩序なきエジプトには住みたくないと思いました。そして、オシリスの治める冥界に行くことにしたのです。
 オシリスはマアトの申し出を喜び、死者の審判を手伝ってくれと言いました。マアトは喜んで承諾しました。
 オシリスの審判所には、天秤があって、死者の心臓の重さをはかるのですが、このとき、マアトの髪飾りであるダチョウの羽根が使われるようになったのには、このような訳があるのです。(浪)