【随筆】−「オシリスの審判」                浪   宏 友


   古代エジプトでは、死んだ人は、冥界に生まれ、この世と同じように生活すると信じられていました。
 この世の生涯を正しく生きた人は、霊となったのち、太陽神ラーの光が燦燦と降り注ぐアアルの野に入ることを許されます。そこは、この世を正しく生きた人たちの霊が、仲良く暮らす快適な世界です。
 この世で悪事を重ねた人は、死んで霊となりますと、アアルの野の下方、光の無い地獄に落とされて、苦しみ続けるのです。
 アアルの野に入れるか、地獄へ落ちるかは、冥界の王オシリスの審判によって定められるのです。
 人が死ぬと、70日かけてミイラにしてもらいます。アアルの野に入るには、体が必要なのです。
 葬儀が正しく行われ墓に納められますと、霊が、ミイラから芽生えるように立ち上がり旅立ちます。その道は遠いだけでなく、悪霊たちに邪魔をされます。死者の体を奪おうとしているのです。死者は、悪霊を払いのけながら進まなければなりません。
 死者の棺(ひつぎ)に、霊がたどるべき道しるべや、悪霊を払いのけるための呪文が書かれるのは、このためです。
 ようやく悪霊から逃れると、今度は神々の質問が待っています。
 神が問います「お前は、盗みをしたか」。霊は答えます「しません」。
 次の神が問います「お前は、人に乱暴を働いたか」。霊が答えます「働きません」。
 次の神が問います「お前は、人の悪口を言ったか」。霊が答えます「言いません」。
 こういう質問を、神々から受け、すべてに正しく答えられた霊が、ようやく、オシリスの審判所に入ることができます。
 ここで、オシリスから質問を受けます。
 オシリスの質問によどみなく答えたとしても、まだ安心はできません。そこには、天秤が用意されています。
 霊は天秤の前に案内されます。霊の心臓が神の手に渡り、天秤の片方に乗せられます。天秤のもう一方には、真理の女神マアトの髪飾りのダチョウの羽が乗せられます。
 命は心臓に宿ります。生きているときに命をどのように使ったのか、そのすべてが心臓にこもっているのです。
 正しく生きてきたのなら、心臓は清らかで、羽毛のように軽くなります。
 悪い生きたかをしてきたなら、心臓は汚れ、重くなります。
 天秤を見つめるのは冥界の神アヌビスです。記録するのは知恵の神トトです。天秤の下には幻獣アメミトが、座っています。
 霊が、神々に嘘をついていなければ、ダチョウの羽根と心臓はつりあいますから、天秤は傾きません。このことが、トトから、オシリスに伝えられます。  オシリスがうなずけば、霊は心臓を返してもらって、アアルの野に行くことを許されます。アアルの野まで、遠い旅をしなければなりませんが、幸せが約束された旅路ですから、さぞかし楽しいことでしょう。
 霊が、神々に嘘をついていますと、心臓が重くなります。すると、天秤は傾き、心臓は床に落ちます。すると、幻獣アメミトが食べてしまいます。心臓を失った霊は、光の無い地獄へ行くほかありません。
 この話は、日本の閻魔さまに似ています。閻魔さまは、生前の行ないを調べて、死者の行先を決めます。
 オシリスも、生前にどのような生き方をしてきたかによって、霊の行先を決めます。
 よくよく考えれば、これまでの自分の生き方が、この先の行先を決めているのです。閻魔さまやオシリスが、勝手に決めているわけではありません。
 古代エジプトと日本の伝承がほぼ同じであることに、不思議の感を覚えました。(浪)