【法華三部経を学ぶ その八】 ミスマッチ      浪   宏 友


   「垂直的専門分野」

 長年積み重ねてきた人生相談・人間関係相談を基盤として、経営コンサルタントを開業してから一年を経過しようとしています。
 人材育成を主たる業務にするとはいえ、やはり経営に関する知見は持っていなければなりません。このため、今年の始めから企業経営に関する勉強を開始しました。すると、いままで知らなかったことや見逃していたことが次々と浮かび上がってきました。自分は世間に対して本当に無知だったんだなあと、改めて恥じ入った次第です。私の無知さ加減をご披露しますと、例えばこんな具合です。
 出資者と経営者は別物でした。世間には出資の専門家がいました。自分で出資して利益を得る人、人に出資の指南をして手数料を取る人などさまざまでした。出資には、出資の技術があり、なんらかの判断に従ってこれらの技術を使いこなすのでした。
 経営者は、経営をする人でした。会社を作って社長に納まると、形の上では立派な経営者です。しかし、本当に経営者かどうかは分からないのでした。名目上の経営者は存在するけれども、本当に経営している人は見当たらないという会社もありました。このような企業は、早晩立ち行かなくなってしまうのでしょう。
 部長とか課長とか、そのような立場の人は管理職と呼ばれます。経営と管理は違うのでした。ついでながら管理と監督も違っていたのです。よく見ると、管理職ではあるけれども、管理はしていない人が存在することが分かってきました。監督職でありながら、監督の出来ない人も珍しいことではありませんでした。
 要するに出資、経営、管理、監督、現業のそれぞれが専門分野なのだということです。それぞれに専門的な知識、技術、技能が要請されるということです。
 産業には多くの分野があり、それぞれに専門的な知識、技術、技能を必要とされています。これは水平的な専門分野と言えるでしょう。
 一方、出資、経営、管理、監督、現業は、垂直的な専門分野と言ってもいいと思いました。立場によって、それぞれ必要とされる専門的な知識、技術、技能があったのです。
 世間に疎い私でしたので、いままで、こんな基礎的なことすら理解していなかったわけです。


   「いい仕事をしてたのに」

 現業で素晴らしい成績を上げていたし、親父さんなどと呼ばれて人望もあった人が、監督者や管理者になったとたんに動きが鈍くなり、人望も失ってしまったという現象に出会いました。
 管理職としていい仕事をしていた人が、経営の立場に立ったら、実績を上げることが出来なくなってしまったという話もありました。
 業績を上げていた人が独立し、自分の工場を持って頑張っているという美談が伝わってきたかと思うと、しばらく後に、あの会社は傾いているよと気の毒な噂に接することになったりしました。
 ある立場ではいい成績を上げられるのに、他の立場になるとまるで駄目になる。いったい何故なんだろう。疑問を抱いた私は、この人たちの動向を可能な限り訊ねてみました。するとこの人たちは、立場が変わったのに、行動はそれまでどおりであることに気づいたのです。
 監督、管理、経営。それぞれに専門的な分野です。それぞれに専門的な知識、技術、技能を要請されているのです。ところが、現業のノウハウをそのまま監督や管理のノウハウとしようとすると、ミスマッチが生じます。管理や監督におけるノウハウを経営に持ち込んでも役に立ちません。
 新しい立場に立ったとき、それぞれの立場に必要な専門的な知識・技術・技能を学び取り、活用しなければならなかったのです。ところが、この方々はそれをしなかったのです。いや、私と同様に、それぞれに専門的な知識、技術、技能が要請されるのだということにすら気づかなかったのかもしれません。そのために、学びようがなかったのかもしれません。
 さらに重要なことは、現業から監督者になり、
管理者になり、経営者になるにしたがって、多くの人をお預かりする立場になるということです。いままでは、自分一人を賄い、自分一人の責任を取っていればよかったのですが、監督職になったがために、数人の人びとの面倒をみなければならなくなりますし、数人分の責任を取らなければならなくなります。
 管理職になればさらに多くの人びとを受容しなければなりませんし、経営者となれば、会社に所属する人びととその家族全員のことを考えなければなりません。
 このように、立場が上がれば、より多くの人びとを受け入れることができる大きな人間性ををもたなければなりません。スケールの大きな人格を備えなければならないのです。
 自分だけのことしか考えられないような小さな管理職や経営者は、結局管理も経営も出来ないのではないでしょうか。
 こうして考えてみると、どうやら人の能力や人格と、置かれた立場との間に、ミスマッチが生じているのだと私は気付きました。


   「長者窮子の譬え」

 妙法蓮華経は、このような人と立場や業務とのマッチングをどのように考えているのでしょうか。直接的な表現には接することは出来ませんが、長者窮子の譬えに、そのヒントらしきものを見ることができます。
 幼いときに父の家からさまよいでた男の話です。
 長い間他国をさすらい歩いて貧しい暮らしをしていた男が、いつしか父である長者の屋敷に足を向けていました。ある日、たまたま父の屋敷の門前に立ったとき、父は男がわが子であるとすぐに分かり、召使につれてこさせようとするのですが、男は恐れおののいて抵抗します。このため、どうしてもつれてくることができません。仕方がないのでその場は放してやりました。子供の心がすっかり卑屈になっている今は、親子の名乗りを上げるときではないと判断したからです。
 しかし、父はあきらめたわけではありません。なんとかして子供を屋敷に迎え入れ、跡を取らせたいと願い、あれこれと考えます。そして、屋敷に下僕として雇い入れ、だんだんに卑屈な心を建て直し、親子の名乗りを上げられるようにしようという遠大な計画を立てたのです。
 男は下僕として屋敷に入りました。父は、自ら見すぼらしいなりをして男に近づき、親しくなって導きました。こうして二十年もの長い努力が続きました。
 この間に、長者は男を現業から監督職に監督職から管理職にだんだん仕事を格上げしていきました。専門的能力を高めつつ、なによりも人間性を高めることに腐心しました。
 父の努力の甲斐あって、ようやく男も成長し、広く大きな心を持つことが出来るようになりました。これを見定めた父の長者は、改めて親子の名乗りを上げたのです。男はここで経営者になることができたのです。
 この物語は、深い哲学的な内容を秘めているのですがそれはちょっと棚上げしておきます。
 今、私たちが取り組んでいるテーマからは、長い間他国でさすらってきた男の心が、長者の跡取りという立場に対してミスマッチだったことから、マッチングするまで粘り強く育て上げた長者の苦心談と見ることができると思います。


   「自己啓発」

 一方、男のほうはどうだったでしょうか。小さな心を持って、小さな夢を抱くことしかできなかったその男は、親切にしてくれる長者を父とは知らずに慕いました。そして、長者の指導に従って、地道な努力を長い間続けました。平凡な毎日を前向きに歩き続けたわけです。ここに、自己啓発のひとつのあり方が示されていると考えられます。
 人材育成は、自己啓発が決め手であると言われます。OJTやOffJTは、自己啓発の環境づくりとして大切です。しかし、自分自身が努力しない人に、いかなる環境を与えても意味がありません。やはり、自己啓発が決め手なのです。
 この男は、長者が設定した環境の中で、地道に努力を続けたために、次第に実力を身につけ、一介の労働者から、監督職、管理職、経営者へと育ち上がったわけです。
 長者窮子の譬えは、人材育成に関して、指導する側にも、育成される側にも、さまざまな示唆を与えてくれるたとえばなしだと思います。