【法華三部経を学ぶ その十】 人の心が分かる      浪   宏 友


   「他心通」

 現代の経営は、顧客中心でなければ成り立たないと言われている。顧客のニーズやウォンツを把握して、適切な製品やサービスを提供し、顧客満足を勝ち得てこそ、適正利潤に繋がるという考え方である。
 確かにその通りだと頷ける。だがここで大きな問題に突き当たる。顧客のニーズやウォンツ、つまりお客さんの考えていることや思っていることが分からない。マーケティングリサーチを行なおうと思っても、かなりな費用もかかるし、効果的な調査にするためには、どういうことをどの程度調べればいいのかも難しい。
 こうなると、他人の心の中を見通すことのできる神通力、他心通というのだそうだが、そんな力が欲しくなる。
 ところが、妙法蓮華経を読み進むうちに、そんな力が得られるという経文に出会った。

   「法師の功徳」

 妙法蓮華経に法師功徳と題する章がある。法師は、眼、耳、鼻、舌、身、意(心)の功徳を得るという。
 眼の功徳を得ると、あらゆる世界のあらゆる人々の姿や行為、行為の結果などを誤りなく見ることができるという。
 耳の功徳を得ると、あらゆる音やあらゆる声を聞き分けることができる。鼻は匂い、舌は味を通して、ものごとの真実、人の心などを知ることができるという。  身の功徳を得ると、人々が会いたいと思うような自分になることができるばかりか、あらゆる人々の状態が我が身に写し取るように分かるようになる。
 意(心)の功徳を得ると、あらゆることがよく分かり、すぐれた考えが出来るようになり、人々を自信をもってリードすることができるようになるという。
 確かに、これだけの力を得れば、顧客の心を掴むことができそうな気がする。
 では、このような力を得るためにはどんな修行をすればいいのかと経文に訊ねれば、五種法師の修行をせよと答えてくれた。

   「五種法師」

 五種法師とは、受持・読・誦・解説・書写の五つの行である。経文の読み方には独特なものがあって、順に「じゅじ・どく・じゅ・げせつ・しょしゃ」と言う。
 受持が根本であって、妙法蓮華経の教えを深く信じ、その教えを固く保ちつづけることである。妙法蓮華経の教えとは、真の人間らしい生きかたの教えであるから、人間の本質と本質に即した生きかたを学び、これを常に心において、その通りに生きようと努力することである。
 真の人間らしい生きかたを学ぶ第一歩が「読」である。妙法蓮華経のように真の人間について説いてくれる教えを読んだり、しかるべき人に教えてもらったりする。
 折角のすぐれた教えも学んだそばから忘れてしまってはなんにもならない。そこで、しっかり覚えることになる。それが「誦」である。大切な教えはそらで言えるぐらいにならなければいけない。
 次に、学んで覚えた教えは、人に教えることが勧められている。
 その一つの方法が直接人に説くことであり、それが「解説」である。それ以外の方法をまとめて「書写」という。かつては実際に経文を書き写したものであるが、現在は、さまざまな方法が考えられる。
 解説にせよ書写にせよ、人に説くことによって教えを伝えつつ、自分自身の理解を深めることができる。一石二鳥の行為である。
 ここに示されているような修行なら、特殊なものはひとつもないから、自分にも出来そうな感じがする。

   「真の人間として生きる」

 五種法師の中心は「受持」であった。真の人間として生きる生きかたを理解して深く心に止め、その通りに実行することであった。
 真の人間として生きる道は、真理が教えてくれる。真理とは、いつでもどこでもだれにもあてはまる普遍的な理である。私はこれを四つの法則として理解している。「多様性の法則」、「変化の法則」、「関係の法則」、「関係変化の法則」である。これはすべて釈迦牟尼世尊の縁起観から学んだものばかりである。
 五種法師を行なえば、人間の本当の姿が分かってくる。本当の価値が分かってくる。だから、人のことも分かり、正しく対処することもできるようになる。
 顧客中心の経営といっても、単に儲けだけの話ではない。お互いに真の人間として生きるためにはどうすればよいかという、根本的な問いに対する答えがそこに表現されるのである。
 そのような人間性あふれる経営こそが、これからの世紀には求められているのである。