【法華三部経を学ぶ その十三】 豊かな世界        浪   宏 友


   舎利弗の成仏

 妙法蓮華経譬喩品に、釈尊が声聞である舎利弗に授記を与える場面がある。授記とは、釈尊が弟子に向かって「あなたは必ず成仏します」と保証することである。それまで、声聞は決して成仏しないと言われてきた。ところが釈尊はここで舎利弗に成仏の保証を与えられた。声聞に対する最初の授記であるから、教義の上では大事件に属するものである。
 それはさておき、釈尊が語っている、舎利弗が成仏したときの世界に注目しよう。

其の土平正にして清浄厳飾に、安穏豊楽にして天・人熾盛ならん。瑠璃を地となして、八つの交道あり。黄金を縄と為して以て其の側を界い、其の傍に各七宝の行樹あって、常に花果あらん。(妙法蓮華経方便品)

 ここには、舎利弗が成仏したときの世界が描かれている。豊かな大都会を思わせる表現である。手入れの行き届いた清潔で美しい街。和やかに行き交う心豊かな人々。道路もよく整えられ、活き活きと繁った並木は花を咲かせたり実を結んだりして人々を楽しませている。このように、仏の世界は物質的にも豊かな国なのである。
 経文を読み進むと、次の一節が現れる。

其の劫を大宝荘厳と名けん。何が故に名けて大宝荘厳という、その国の中には菩薩を以て大宝と為すが故なり。彼の諸の菩薩、無量無辺不可思議にして、算数譬喩も及ぶこと能わざる所ならん。(同)

 舎利弗が成仏する時代は大宝荘厳と呼ばれるという。その理由は、菩薩を大宝とするからであり、大宝である菩薩が数えきれないほどいるからだという。
 ここのところを、物質的に恵まれた世界に多くの菩薩が住んでいると読んだら間違いを生ずるであろう。法華経の教えを学べばすぐに分かるけれども、そのような菩薩がそれほど多くいるから物質的にも恵まれた世界を建設できたのである。


   閉塞感

 「現代の日本は閉塞感に覆われている」というような言葉にしばしば出会う。すると誰もがそうだと頷く。しかし、その口ぶりには、閉塞感の漂う日本を作ったのは誰でも無い、日本に住む我々であることを、忘れているような響きを感じることが多い。
 我々の住む世界は、誰かから与えられるものではない。自ら創り出し、育て上げるものである。時代は刻々と移り変わるから、我々も刻々と世界を創り、育て上げなければならない。そのようにして育て上げた世界だからこそ、自ら豊かに憩うことができる。
 企業もまた然り。企業を覆う閉塞感に対して、何もせずに待つ姿勢では未来は訪れない。閉塞感は「感」であって実態ではない。問題は実態に対する姿勢である。根本的な姿勢を整えて、実態を改善する努力をしてこそ、未来は開けてくる。
 そして、根本的な姿勢とは、法華経に説かれる菩薩の姿勢である。自他ともに人間として成長するために、正しい智慧を磨き、正しい努力を重ねることこそ、事態を根本的に打開し、好転させる唯一の道なのである。