【法華三部経を学ぶ その二十八】 苦悩からの脱出        浪   宏 友


  ◇六つの苦しみの世界

 法華三部経とは、無量義経・妙法蓮華経・仏説観普賢菩薩行法経の三部を言います。無量義経は、三つの章から成っていますが、中心になるのは「説法」と名付けられた第二章です。ここにこんな一節があります。(庭野日敬著『法華経の新しい解釈』佼成出版社)

 衆生はその真理を知らないために、何ごとも自分本位に考えて、これは得だとか、これは損だとか、勝手な打算をする。したがって、いろいろなよくない心が起こり、六つの苦しみの世界をぐるぐるまわっているのです。

 六つの苦しみの世界とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つです。これは、人間の迷いのありさまとして学ぶことができます。

 地獄=心が怒りで占領されている状態です。怒りはものごとを破壊します。物を破壊し、人を傷つけ、自分を損ない、人間関係を壊します。
 餓鬼=貪り欲張る心がかぎりなく起こってくる状態です。物を欲しがり、地位や権力を欲しがり、人の愛情を欲しがります。欲しいものが手に入っても幸せになるとは限りません。時には手に入れたものによって自分自身を滅ぼすことがあります。
 畜生=智慧が全然ない状態です。真理を知らず、ものの理が分からないことです。このため、前後のことも、周囲のことも考えず、感情のまま、本能のままに振る舞ったりします。
 修羅=何ごとも自分本位に、自分の都合のいいように考える心です。このため人との争いが絶えません。自己主張のためには他人を平気で否定します。自己防衛のためには理不尽も厭いません。
 人間=以上の四つの心をもってはいるけれども、良心によってそれをある程度に押さえて突っ走らせないようにしています。
 天上=歓喜の世界です。歓喜といっても肉体や感情の一時的な喜びに過ぎません。
 人間も天上も不安定です。ちょっとしたことでたちまち四つの世界に落ちてしまいます。

 人間は、心も言葉も行為もこのような迷いの世界をさまよいます。ここから抜け出すことは困難であると経文は語っていますが、抜け出さないわけにはいきますまい。不安な心で苦悩し続けるよりも、安らかな心で幸せに暮らすほうがいいからです。

  ◇八正道

 地獄・餓鬼・畜生・修羅の四つをまとめて四悪趣と言います。「悪」とは生命の歩みが滞ったり逆行することです。
 地獄・餓鬼・畜生・修羅・天上では、生命の自然なありかたに目覚めることが極めて困難です。人間の状態にあるときにのみ、辛うじて生命の歩みに入れる可能性が開けています。
 生命の歩みを歩むとは、言葉を換えれば真理によって生きることです。真理を学び自分を真理に合わせようと努力すれば、実現することができます。
 真理に合った生きかたとはどういう生きかたでしょうか。釈迦牟尼世尊は私たちのために分かりやすい教えを説いてくださいました。それは八正道です。八正道とは、正見・正思・正語・正行・正命・正精進・正念・正定の八つです。簡単に説明すれば次のようなことです。

 正見=正しくものごとを見る。自分中心の見かた、かたよった見かたなどをしない。
 正思=四悪趣のような心を持たず、正しい大きな心を持つ。
 正語=正しい言葉づかいをする。嘘、悪口などを言わない。
 正行=正しい行いをする。人を苦しめたり、社会規範を破ったり、道徳に外れたことを行なったりしない。
 正命=正しい仕事で得た収入で正しく生活する。
 正精進=正しい目的に向ってたゆまぬ努力をする。今成すべきことを成す。
 正念=常に正しい心を持ち続け、正しい方向に心を向け続ける。
 正定=心・言葉・行いが常に正しくあるようにする。周囲の変化によって、正しさから外れたりしない。

 こうした教えを学ぶとすぐに「あいつに聞かせたい」と言い出す人がいます。これはお門違いです。こうした教えを人に伝え実行するように勧めることは良いことには違いありませんが、まず自分が実行するところから始めるべきなのです。そうでなければ、自分自身が六つの迷いの世界から抜け出すことができません。
 また人を責めたり非難したりする心で教えを勧めても、相手が受け入れるはずがありません。
 八正道を歩むことは生命の歩みを歩むことです。生命の歩みを歩むということは、真の意味で自分らしく生きることであり、働きがいのある仕事をすることであり、生きがいのある人生を送ることです。真の意味で人生の成功者になることです。
 安らかな心で、豊かな毎日を送り、人々と笑顔を交わしつつ、自分自身は成長を続ける。そんな毎日が約束される生きかたなのです。