【法華三部経を学ぶ その三十二】 苦と向き合う        浪   宏 友


  ◇「苦しみから逃げる」

 法華経方便品に「苦を以て苦を捨てんと欲す」という一句があります。ハッとさせられる言葉です。
 若いころ、苦しいことがあると酒を呑みました。酔って忘れようとしたのです。しかし、酔えば酔うほど、苦しみが増してきたことを覚えています。仮にその時は忘れることが出来たとしても、酔いが醒めれば、やはり苦しみはそこにあるのです。苦しみと正面切って向き合えない意気地なしだった私は、心の逃げ場を求めていたのです。
 ある小さな会社の社長は、運転資金に行き詰まって、いわゆるサラ金から借金してしまいました。ご多分に洩れず返済できません。苦し紛れに別のサラ金から借りてその場をしのぐということをやっているうちに、家庭は壊れ、経営は行き詰まり、とうとう姿をくらましてしまいました。
 こういう姿を、愚かというのだと思います。私も若いころは極めて愚かでした。

  ◇「苦しみに向き合う」

   私が持ち直したのは、父母から教えられてきた法華経を、その気になって学び始めてからでした。
 苦しみから中途半端な逃げ隠れをしないで、その実態を直視せよという教えは、厳しいものでした。この教えはさらに、苦しみの原因を明らかにせよ、苦しみの原因をとり除く決意をせよ、苦しみの原因をとり除く努力をせよと続きます。
 苦しみの原因は、すべて自分自身の中にありましたから、自分自身を変えるほか、解決の道はありません。そして、その道は八正道・六波羅蜜と教えられました。
 最後の決着は、行動です。ところが根が怠け者の私は、最後まで努力を続けきることがなかなかできません。それでも、苦しみと正面切って取り組むという姿勢が曲がりなりに取れ始めたころから、私はいくらかましになってきたように思います。

  ◇「幸福者」

    そのとき学んだ教えは、現在、経営コンサルタントとしての私を支える大きな力となっています。この教えによって、さまざまな苦しみにあえぐ経営者たちの支えとなることができているからです。
 経営者の多くが、苦を以て苦を捨てようとしています。それが嵩じて、犯罪にまで突き進む人も次々に出ています。そんな中で、この教えに耳を傾け、教えを実践しようと努力する経営者は、苦しくとも着実に前進できるのです。そこには、底力のようなものさえ感じることがあります。
 苦に背中を向けずに、苦を斜めに見ることもせずに、苦を無視して力ずくで押し切ろうともせずに、苦と向き合い、苦と取り組めるのは、実に幸福なことだと思います。何故なら、この教えに基づいて努力しさえすれば、苦は解決せずにはいないからです。
 私が苦と正面から向き合えるようになったのは、この教えがあったからだと断言できます。その意味で私は、本当の意味で幸福者であると言ってもいいと思っています。