【法華三部経を学ぶ その三十四】 大地をくぐる        浪   宏 友


 妙法蓮華経従地涌出品に、不思議な光景が描写されています。釈迦牟尼世尊は娑婆世界で人びとに教えを説き続けているのですが、その座に、他の国々を受け持つ仏さまが全て集まっていました。それぞれの仏さまには、菩薩が従者となって同行していました。これらの菩薩は、娑婆世界の菩薩ではないという意味で「他方の菩薩」と呼ばれます。
 お釈迦さまの説法が一区切りしたとき、他方の菩薩が一斉に立ち上がって言いました。「お釈迦さま、もしお許しいただけますならば、私どもも娑婆世界にとどまり、お釈迦さまの教えを人びとに説き広めたいと思いますが、いかがでしょうか」
 するとお釈迦さまは即座に言いました。「お志しはありがたいが、その必要はありません。この娑婆世界には無数の菩薩たちがいて、人びとに教えを説き広めるからです」
 お釈迦さまがそう言った途端に、大地に無数の割れ目ができて、そこから、無数の菩薩たちが涌き出しました。この菩薩たちはすべてお釈迦さまの弟子たちだったのです。この菩薩たちは、大地から涌き出してきた菩薩という意味で「地涌の菩薩」と言います。
 「菩薩」とは、仏の悟りを得る目的のもとに、人びとを救うはたらきをする優れた人びとです。そのような菩薩が大地から涌き出してきたというのですが、ここには三つの意味を見出すことができると言われています。
 第一に、お釈迦さまが他方の菩薩の申し出を断って、地涌の菩薩に娑婆世界に教えを伝える役割を与えたことです。これは「そこに住んでいる人びと自身の努力によってその世界を平和にし、自分自身の手で幸福な生活を築き上げる」のでなければならないということです。他に依存して、結果だけをいただこうというような精神では、結局何も得られないからです。
 第二に、菩薩たちが大地をくぐり抜けて出現したことです。どのように立派な人であろうとも、現実社会の生活を体験し、汚れと濁りのなかであえいでいる人びとの中で、その苦しみ悩みにじかに触れてこそ、本当に人びとを導き救うことができることをあらわしています。雲の上から人びとに手を差し伸べても何の役にも立たないのです。
 第三に、地涌の菩薩たちには四人のリーダーが居て、その名前が「上行菩薩」「無辺行菩薩」「浄行菩薩」「安立行菩薩」であることです。これらの菩薩の名前にはすべて「行」がついています。これはいうまでもなく、教えは行じなければ何にもならないことをあらわしています。
 私たちは、ややもすると、自分の責任は回避して他の人びとに依存し、楽ばかりをを求めて苦しみから逃避し、できれば何もせずに結果だけを求めたいと願う怠惰な気持ちを抱きがちです。
 地涌の菩薩の姿は、自主・自立の姿勢で、苦しみ悩みに正面から向き合い、真理の教えを実行することによって、人びとに貢献しつつ未来を開拓していくことが、人間としての生きかたであることを示しているように思われます。
 私たちも、自ら大地をくぐりながら、経営に、業務に、よりよき結果を生み出し続け、人びとに貢献し続けたいものだと思います。