【法華三部経を学ぶ その三十五】 迷いの恐ろしさ        浪   宏 友


  ◇「古屋敷に巣くうもの」

     妙法蓮華経譬喩品に、迷いに満ちた人間の姿がたとえ話の形で語られているところがあります。
 古びた屋敷がありました。長らく人の手が入らず、荒れ放題になっていました。そこにはいろいろな鳥たちが巣を作り、毒虫たちがうごめき、獣たちが走り回っています。汚いものが流れているところにはクソムシがたかり、そこここで化け物たちが餌を漁り、奇妙な鬼たちが横行しています。どれもこれも飢えていますから、争い合い奪い合ってなんとも浅ましい限りです。
 そのとき、屋敷が火事になりました。火はたちまち広がります。動物たちや化け物たちは逃げまどいますが、火に追いかけられ、追い詰められていきます。そんななかでも、互いに争い合い奪い合って、ますます混乱が深まります。
 この経文を読むうちに、世間のありさまを思い浮かべずにはいられませんでした。
 ここに描かれた動物たちや化け物たちは、人間の迷いを現わしています。火事は自分の境遇に恐ろしい変化が生じることを現わしています。ただでさえ迷っている人びとは、苦しいことが起きると迷いをますます深めていきます。苦しみの中で欲望を募らせ、自分本位を振り回し、他人と争い、世間とぶつかり、自分の存在を自ら否定するような行動を繰り返していくのです。
 百年に一度と言われる世界的な不況のなかで、自分さえよければ他人はどうなってもよいという行動を繰り返す人びと、苦しみの乗り越えかたも知らずに自分を助けない社会に怨念を傾ける人びと、不況を利用して自分だけは儲けようと舌なめずりをする人びと。
 人間の心の中に住む鳥獣、化け物、鬼たちが、暴れまくっているすがたが世間に充満しています。

  ◇「迷いの外に出る」

     このような社会を何とかすることはできないのでしょうか。譬喩品の続きを読むと、何とかなる道筋が語られています。それは迷いの外に出ることです。迷いの外に出さえすれば、自分のなかの鳥獣・化け物。鬼たちは鳴りを潜めます。代わりに真実の世界で自由に振る舞うことができるようになります。
 しかし、迷いに満ちた人が自分の力だけで迷いの外に出ることは困難です。どうしても導いてくれる教え、手を引いてくれる人がなければなりません。しかし、教えや人がいても自分自身が迷いの外に出ようと努力しなければなんにもなりません。最後の鍵は、自分自身が教えに沿った努力をするかどうかにかかっています。
 私がまがりなりにも人間らしい心を持ち、周囲の方々とより良い人間関係を築いていけるのは、僅かながらでも教えに導かれて人間らしい生きかたを心がけるようになったからだと思います。
 私の中には、依然として迷いの鳥獣や化け物や鬼たちがうごめいています。油断をすると、こうした迷いに負けてしまい、あの古い屋敷に戻ってしまいかねません。
 釈迦牟尼世尊の最後お言葉とされる「ものごとは移り変わる。怠らず努めよ」が、今の私に痛感されるのは、ちょっとの油断、ちょっとの怠りが、私をたちまち迷いの古屋敷に向かわせることを、幾度か経験したからであると、白状しなければなりません。