【法華三部経を学ぶ その三十六】 個性について        浪   宏 友


  ◇「個 性」

 人はそれぞれ個性を持っています。外見的な風貌、漂わせる雰囲気、言葉や行動の特徴など、まさしくその人らしさが現れます。ものの感じ方、考え方、判断の仕方、行動の仕方、用いる方法なども人によって異なります。
 どうして一人一人がこれほどまでに異なっているのか、その様態、その理由、その意義などを考えますと、その奥深さに感嘆せざるを得ません。
 一人一人の個性の意義や尊さについては、妙法蓮華経の薬草喩品に、三草二木の譬えを通して詳しく説かれています。豊かな智慧に裏付けられた個性のはたらきは、一人一人が世の宝となることを示していると、私には受け取れます。
 ところが迷いの中に生きる人々にとっては、自分と他人の個性が異なることが、不平不満のもととなり、悩みのもととなり、争いのもととなることも、法華経の中に示されています。
 たとえば、譬喩品における三車火宅の譬えでは、個性の異なる鳥、虫、獣たちが入り乱れて争っている様子が生々しく描写されています。
 ここに登場するさまざまな鬼たちも、個性の意義を知らない様子です。なかでも、喉が針のように細い鬼などは、自分と異なる考え方を飲み込むことが出来ない狭量な人格を現しているように思われます。

  ◇「不平不満」

 他人が自分とは異なることを、認めることができない人が、奇妙な態度を示すことがあります。
 自分では出来ないことを人に頼みます。頼まれた人がその人の考え方、やり方で行います。するとやり方が気に入らないと言って怒り出します。本当はありがとうと言うべきところを文句を言うわけですから、頼まれた方は不愉快です。そこで不機嫌な顔をすると、今度はそれが悪いといって怒ります。こんなことを繰り返していたら、そのうち誰も頼みを聞いてくれなくなるでしょう。
 個性が異なれば、目指すところも異なります。目指すところが異なれば、状況のとらえ方も、判断の仕方も、用いる方法も異なります。
 ところが、他人が自分と異なることを快く思わない人は、これをいちいち咎めます。この人は常に不平不満をまき散らし、怒りを発し、人を刺し、常に争っていなければなりません。これでは気持ちが安らかになることはないでしょう。

  ◇「個性の協力」

 他人は自分とは違うのが当たり前です。違いと違いが協力し合うことによって、価値あるものを生み出すことができます。この事実を呑み込めたら、どんなに豊かな心になることができるでしょう。
 大事なことは、真理の指し示す方向に歩んでいるかということです。個性の異なる人々が、それぞれの個性を思う存分発揮しながら、こぞって真理の道を歩くとき、そこには素晴らしい家庭が、職場が、社会が現出するのではないでしょうか。