詩誌「詩人散歩」(平成14年冬号)
◆これまでの【詩編】を掲載しています。

  声                    浪 宏友

あのとき ぼくの胸に飛び込んで来た声は
遠いものかげでたたずんでいた
君の叫びだったんだね

気になりながらも捜そうともせずに
ぼくは
きらびやかな人たちの間に紛れてしまっていた

日が暮れてみんな散り散りになってしまった後も
きみだけはいつまでも立ち去ろうともせずに
ぼくを追いかけ続けてくれたんだね

気になりながらも振り向こうともせずに
ぼくは
ひとり扉を閉めてしまった

夜が更けて 雪になり 誰も通らない道に
きみだけは熱く燃え続けて
ぼくの灯影を見つめ続けていたんだね

気になりながらもいつか忘れて
ぼくは
ぼくの中に巣籠もってしまった

朝がきたとき
きみは真っ白に透き通っていた

きみの前を通り過ぎたぼくの心に
最後の声を投げかけながら
きみは空気に紛れて見えなくなった

あれ以来
ぼくの心にきみがいて
ぼくは静かな悲しみと共に生きている

  中国紀行                 中原章予

    仏の教え

宋時代かいやもっと昔のその昔
中国の地に仏の教えが満ちてきた
そして日本へ 今 私の心の中に

    天台山

恩師のお陰様で値い得た尊い教え
天台山で幾多の高僧が
華頂峰 高炉峰 仏隴峰 祥雲峰 五峰と
天台大師の開山せし法華経の根本道場でもある天台山

    滝

かつては恩師も歩き座禅を組まれし石梁飛瀑の滝
とうとうと流れ落ちる水を眺め
しばし声もなくただただ感涙にむせぶ

    天台山に登る

異体同心一身に受けてのぼりし天台山
サンガの友にささえられ過ごせし六日ただ感謝
恩師の歩きし天台山あまりのけわしさに南無妙法蓮華経
恩師の歩きし中国の大地老いて歩ける幸せに涙
天台山霧雨の中にお題目唱えて登る幸せ

    西安

鳩摩羅什の住した寺 舎利塔
教えに縁の深い僧の墓 言葉にならない

    石灯籠

霧たちこめる西湖を渡るエンジンの音心地よく
ありし日の秦の始皇帝しのぶ石灯籠五つ
秦始皇帝が優雅を愛でた西湖五つの石灯籠に火を入れて
障子紙を張り湖面に映し五つの月を見るという優雅さ
今は淋しく灯籠一個 昔の面影今はまぼろしか
静かに静かに湖面をはしる船
エンジンの音かろやかにすべるようにはしる

    兵馬俑

秦の始皇帝の権力の絶対的象徴の平馬俑杭博物館
多くの中国人を使い作ったと言われ
使役に使われた人民が皇帝亡き後破壊した所もあるが
人も馬も生きているようにすばらしい

  歌声                   中原道代

今 私は 合唱団のひとりとして
体育館の舞台に立っている
指揮者の手がさっと上がる
混声四部の美しい歌声が
体育館のすみずみに響き渡る
昔から歌いつがれている日本のうた
ちょっと苦手なポップス
バッハやモーツァルトの宗教曲
ひとりひとりの思いを込めて
それぞれのちがった色合いの声を
重ね合わせて歌っている
美しいハーモニーが生まれる
夕やけ雲のようだなあ
色づいた雲が幾重にも重なり合って
不思議な程に美しい夕やけ
重なる色 重なる声
どちらも人びとを感動させる
そのひとときに安らぎがある
私もあの雲の一粒の水滴
しっかりと確かに輝く一粒の水玉
歌う私たちの心にも
じっと聞き入る人びとの心にも
あの夕やけが広がっていきますように
歌声が体育館の高い窓から流れ出し
澄みきった秋の空に消えて行きました

  旅人よ                  佐藤恭子

旅人よ振り返るな
夢がやぶれても

旅人よ叫べばいい
愛がこわれたら

旅人よ走り出そう
風におわれたら

そしていつか 命という
永遠なるものに全てをかけて

旅人よ眠りにつけ
あすがあるかぎり

そしていつか 定めという
因果なるものに立ち向かって

  小さなきずな               佐藤恭子

小さな 指輪
手のひらでころがしてみる
あなたの想いうけとめる
小さな きずな
信じてる 信じてる
でも 私でいいの 私がいいの
転がる指輪に問いかける
小さな きずな
信じてる 愛してる
ぎゅっとにぎって
この確かな想い いつまでも
小さな きずな
大きくなあれ

  回想                   粕谷浩一

振り向けば
儚く淡い記憶のかけら
巡る季節が呼び覚ます
貴方の影は遥か遠くに

幾度の涙を流しては
時に縛られ夜を越えて
それでも消えぬあの日の想いは
まだ見ぬ明日へ流されゆく

気付けば心奪われて
瞳を誘う貴方の笑顔
溢れる夢に身を委ね
描いた日々は遠い過去

薄れる記憶に揺れる想いは
まだ来ぬ季節へ流されゆく