詩誌「詩人散歩」(平成19年秋号)
◆これまでの【詩編】を掲載しています。

  声                     浪 宏友

春のこない冬もある
男はつぶやいて立ち去った
垂れ込めた雲に押しつぶされて
景色は奇妙にひしゃげて見えた

枯れはてた荒れ野に打ち捨てられた
大小さまざまなうめき声が
アメーバのように這いずりまわっている

春のこない冬はないわ
明るく言い放った女の声が
うめき声に掻き消されてから時が止まった

凍てつく大地に風も吹かない
四方は闇に閉ざされている

くぐもった声が地面の奥から漏れ出てくる
春のこない冬はないわ
厚い雲の片すみに
微かな明るみが覗いたように見えた

時が動き出したのだろうか
風がそよぎ始めたのだろうか

春のこない冬なんてないわ
女の声が地上にこだましたように思えたのは
耳の錯覚にすぎなかったのだろうか

  瞳の奥                  中原道代

一枚一枚 しその葉摘んで
梅にのせれば香り立つ
汁に紅色染めていく

ガラスびんの向こうから
見入る少女の大きな目
一日一日 深まる赤に
色付く梅を待っている

瞳の奥に光るもの
豊かな心にそっと抱き
ゆったり ゆったり 育てゆく

  自然のめぐみ               山本恵子

自然の恵みに感謝しながら
食用野菜あれこれと
神棚に榊 墓前用花
収穫した後が多忙になる
平凡だけどこのくりかえし
これでいいのか これでいい
充実した幸福感じるひととき

  葉牡丹人生                  山本恵子

葉牡丹つくりは面白い
正月用生花と墓前にと
丹精こめて管理する
咲くを楽しみ通う畑

一人暮らしの夜もふける
ねむれぬままに筆をとる
作詩にはげむその内に
人生色々無常知る

笑うかどに福きたるごとく
押し寄せる人生苦ものともせず
心静かに花を活ける
冬の寒さに負けぬよう

  母智丘の桜                  中原章予

幼き日 父と見た母智丘の桜
八十路を過ぎて再度見る老木の桜
自らの老いを見る

美しく咲きみだれし花を眺め
八十路に近い面々のほころびし顔を又 自ら幸せ想う

(宮崎県都城市の母智丘(もちお)公園の桜はさくら名所百選に数えられています=編集者)

  いにしえの                  木村容子

いにしえの母智丘の桜
神宿る都の城の
民やしあわせ

(宮崎県都城市の母智丘(もちお)公園の桜はさくら名所百選に数えられています=編集者)