詩誌「詩人散歩」(平成23年秋号)

yuyake
◆これまでの【詩編】を掲載しています。

  迷路                    浪 宏友

気づいたら ぼくは
きみの中にまぎれ込んでいた
出ることもならず
どこにいるのかも分からず
きみに出会うことすらできなかった

気づいたら ぼくの中に
きみがまぎれ込んでいた
ぼくの中を あちらへ こちらへ
ときには 立ち止まり
ときには すわりこみ
ときには 激しくかけまわっていた

ぼくはきみに出会いたくて
迷路を手さぐりで歩きまわった
大声を出してきみを呼んでみたけれど
真空の中に吸い込まれて
どこにも声は届いていないようだった
きみの中で迷子になってしまった ぼくと
ぼくの中で途方にくれている きみと
いつか どこかで 出会えそうなものだけれど
ぼくも
きみも
ひたすら歩きまわっているばかりなのだ

  月明かり                  中原道代

大きな月が
朝顔の葉を照らしている
昔 銭湯の帰りに見た丸い月
店のとばりは下ろされて
家の灯も 消えていく
母と二人
黙って歩いた月明かりの道
幼ない私のひとこまが
光の中に見え隠れ
今宵は月を招き入れ
母の想い出 手繰りましょう

  ド根性ガエルのピョン吉様           大戸恭子

奥さんのしりにひかれて
ペチャンコになった僕
それでも奥さんのTシャツに
アイロンプリントしてもらったぜ
奥さんの胸がゆれる
僕もゆれる
たまに さわると
ピシャッと平手打ち
そして洗濯機の中
目がまわる
それでも僕はド根性ガエル
照りつく太陽の下
生きかえるのさ
オレは天下のピョン吉様だ!  

  生きるということ               織田信雄

苦しくなくってなんなのだ
人もまた苦しいのだ
だから思いやりがある
それは自分の苦しさであり
人の苦しさである
苦しくっても
生きることから逃れることはできない
  ただ苦しみを受け入れるしかない
そして今をかみしめる
自分をかみしめる
潮騒がきこえる
鳥のさえずりがきこえる
自分は生かされている
そして人を思いやる
苦しいことも
楽しいことも
哀しいことも
嬉しいことも
私たちは選ぶことができない
だが生きることはできる
そうやって
私たちは生きている
私のなかの苦しみは特別ではない
私のなかの喜びと同じく

   墓参り                   山本恵子

さりし日の顔美しく
心にやきついて 墓に通う
今日 昨日 海辺の道に足はこび
潮風にのり あんたとよべど返事なき

流れる涙が胸をしめ
苦労かけたと一言葉
安らかに流して花咲いて見る
結婚し月日早五十五年

楽しい人生 ありがとう
今度逢う日もくるかしら
毎日楽しく草取りも
昨日は一人で 畠道もある

   自分                   山本ルイ子

音楽が好きな人
料理が好きな人
芝居が好きな人
たくさん好きなことがある

にんじんが好き
バナナが好き
ご飯が好き
たくさん好きなものがある

背の高い人が好き
髪が長い人が好き
目がひとえの人が好き
たくさん好きな人の好みがある

誰にもお父さんお母さんがいる
お父さんにもお父さんお母さんがいる
お母さんにもお父さんお母さんがいる
だから自分は自分

誰かと比べるのではなく
良い所も悪い所も自分

そして自分らしく居ることが
これからの自分を作っていくのだと
私は思う

  寝る前の儀式                 伊藤一路

夜寝る時は必ず背中を掻く
三歳の息子の儀式だ
蚊に刺された訳でもなく
赤く腫れている訳でもないのに
毎日掻いてくれとせがむのだ

寝る前の儀式の話を田舎のおふくろに話したら
「あんたの背中もあたしが随分掻いたわ」と…… 
四十年も前のDNAが受け継がれていた

おふくろも今の私と同じような気持ちで
背中を掻いていてくれたのだろう
その気持ちのDNAも受け継がれていますよ
おふくろ!