詩誌「詩人散歩」(平成13年冬号)
 <<秋号へ  季刊詩誌「詩人散歩」各号を掲載しています。  春号へ>> 
  あの人                  浪 宏友
あの人は亡くなった
裏通りで孤独に目を閉じた

そんなことは嘘だ
澄みきった空に浮かび上がるのは
真っ白なドレスに身を包み
はつらつと駈けてくるあの人のすがた
幸せに満ちて
はずんだ笑顔で
おおきく見ひらいた目をこちらに向ける
明るいすがた

それなのに
いったい 誰が 亡くなったというのだ

二人で歩いた たんぼみち
遠くに起伏する山々
山すそに沈黙している家々のなかに
太陽をまぶしく反射する屋根がひとつある
足の下には柔らかなあぜ道
思わず触れた指と指
握りしめていいものかどうか
迷いつつ仰いだ二人の夢

それなのに
いったい 何が 亡くなったというのだ

ひとり静かにたたずめば
あの人は
やはり ここにいる

そのままの 笑顔で
そのままの 薫りで
そのままの あたたかさで

ここにいる
ここにいる

  美しく死ぬる               中野恵代
「何故ここに来たのですか」
ドクターの目が まじまじと私に問う

ふいを突かれて
答えが言葉にならない
先生のおだやかな目線が
わたしにそそがれている
“安らかに死にたい”といった
そのつづきを聞きのがしはしまい
というような目が私に投げかけられている
“美しく死にたい”とつぶやいた

どうしてこんなことを口走ったのか
自分でもよく分からない
ほんとうは苦痛、疼痛、恐怖から
救われたいためだけではなかったのか

美しく死ぬるとは
美しく生きるということではなかろうか
と思いめぐらすこの頃
雨にうたれて旅路を行けば
川の流れを横にみて
橋を渡れば信号だ

手に手をとりて車に注意
やがて信号青になる
いいですね はい 行きましょう
チェックインは四時という
それまで時間費やせば
雨も上がって傘の杖